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琉球弧の歴史と喜界島(その9)、沖縄人の成立

新たな琉球=沖縄人の成立論
 10世紀ないし11世紀頃からはじまる琉球のグスク文化の形成期(原グスク時代)は、琉球=沖縄人の形質も大きく転換して琉球=沖縄人が成立する時期であったのではないかという問題提起がされている。
 安里進氏は、「グスク文化の形成期と展開期には、本土から商人や鍛冶職人、陶工など様々な人たちが渡来したと考えられること、そして、グスク時代の人口が爆発的な増大をとげたことを指摘しました。そして、渡来人の形質を受け継いだ人たちを中心に人口が増大し、在来の貝塚人や先島先史人を圧倒していったことを想定」する、とのべている。
 土肥直美氏は、琉球弧のヒトの形質の変化があったと見る。 
 <土肥は、貝塚時代とグスク時代以後の人を比べると、形質的に大きな違いがあることを指摘しました。頭が長頭(上から見ると前後に長い)になり、顔も面長になる。頭骨のサイズが大きく、身長も高くなって本土の中・近世人と変わらなくなります。その一方で、貝塚時代人の特徴も一部は受け継がれていると考えています。そしてこの傾向は先島でも見られる。こうした、非常にはっきりとした形質の変化がグスク時代前後から始まると考えています>。
 以上は、安里進・土肥直美著『沖縄人はどこから来たのか』(改訂版)。1997年10月に土肥と安里の対談をまとめたもの。99年の出版、2011年12月、新書版で改訂版を出版)から紹介した。
                     ミントン城 (2)
                   南城市のミントングスク
 <人類学の高宮広土は、グスク時代における沖縄諸島の農耕は、「頑丈で・背が高く・長頭」という身体の形態的な特徴を持ち、日本祖語系統の言語を話した人びとによる「植民」によって開始されたとする見解を述べている(高宮)。そのように考えれば、沖縄方言および現代沖縄人の身体形質の説明がつくのみならず、「突然」農耕が始まったことも説明できるという(高宮)。
 ただ、高宮広士はその時期を8・9世紀~10世紀か、グスク時代直前の10世紀~12世紀頃と想定しているが、この時期では沖縄方言の成立の時期として言語学者の同意はえられないとしている。しかし、2・3世紀~6・7世紀に日本祖語を話す人びとが九州に存在しており、中央では言語が変化したが、周辺では変化しなかったため、変化しなかった言語を使用する人びとが九州から、8・9世紀~10・13世紀の間に南下して、沖縄諸島に適応した可能性について言及している(高宮)。>
 これは、吉成直樹、高梨修、池田榮史著『琉球史を問い直すーー古琉球時代論』吉成著「グスク時代の開始」からの抜粋である。
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