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琉球弧の歴史と喜界島(その8)、喜界島からの交易の移住

 喜界島からの交易と移住
 東シナ海をめぐる日本、中国、朝鮮を巻き込んだ南方物産の交易拠点とされる城久遺跡群は、交易の拠点にとどまらず、物産の流通とともに人びとの集団的な移住をともなったそうだ。
 集団の移住について考古学の立場からはじめて論じたのは高梨修氏(奄美市立奄美博物館主任学芸員)だという。
 <最も大きな画期はグスク時代開始期頃であることを指摘する。高梨によれば、中世並行期前半は琉球弧の各諸島に、類須恵器、白磁、滑石製石鍋を中心的構成要素とする容器群が波及、無土器時代の先島まで強い影響を及ぼし、奄美群島・沖縄諸島・先島諸島に同一の器種組成を共有する広域的土器(容器)分布圏がはじめて形成される一大画期となったと述べる(高梨)。…
 こうした広域的土器(容器)文化圏のオリジナルが集中的に搬入され、大量出土するのが城久遺跡群であり、この遺跡群こそが当該段階の琉球弧における土器動態の重要な鍵を握るとする(高梨)。…
                  把手付石鍋と鍔付石鍋の分布と製作所後の位置

     把手付石鍋と鍔付石鍋の分布と製作所後の位置(谷川健一編『日琉交易の黎明』から)

 高梨は琉球弧の土器文化の変化の様相を根拠に喜界島の拠点からヤコウガイ貝類の大量需要に応じて集団が琉球弧全域に移住して交易システムを形成し、それがグスク時代の幕開けになったという従来の認識の転換を促す議論を展開するのである。カムィ焼はヤコウガイの対価ではなく、移住した集団が使用した容器であるということになる。
 各諸島に移住した集団がヤコウガイなどの南方物産を集積させ、それを「日本」へと送り込んだとすれば、南方物産を外へ送り出す交易ネットワークが琉球弧の内部で形成されていたはずである。転換期土器動態が進行したところに移住者の拠点があったとすれば、移住の初期段階においては、カムィ焼の壺、石鍋(石鍋模倣土器)、白磁器が使用されていたと考えられる(吉成直樹著『琉球の成立―移住と交易の歴史』)。>
 高梨氏は、喜界島から「集団が琉球弧全域に移住して交易システムを形成し」、「グスク時代の幕開け」にもなったとみる。
 吉成氏は、この高梨見解は「喜界島起源論」ともいうべきものとする。そして、「喜界島に関与していた人びとを考慮すれば、南下した集団には南九州のほかに、九州西岸地域、さらに高麗人の人びとまで含まれていた可能性を考えておく必要である」と述べている。
 
 吉成氏自身は、さらに次のようにのべている。
  <11世紀半ば以降、琉球弧一円では中国白磁碗、石鍋模倣土器、カムィ焼の壺が使用さるようになり、従来の土器文化は一変することになるのである。前代の土器文化が「転換」するのはヒト集団の移住によってもたらされることを踏まえれば、この変化は渡来者の影響が強く及んだことによると考えられる。…
 広域土器文化圏の形成は、喜界島の交易拠点にかかわる人びとが移住した結果ではないかと考える見方がある。この見方に立てば、日本の境界域にある交易拠点(喜界島)が沖縄諸島以南に面的に拡散したことによって交易圏、広域土器文化圏が成立したことになる>
 <「日本」の南の境界域に位置し、境界域の内と外を結ぶ交易拠点が拡散しながら面的に南下し、結果的に沖縄諸島以南を覆い尽くしたのである。…
 奄美群島という境界域が交易拠点として莫大な利潤を保証したように、境界域化した地域を基盤に形成された琉球国もまた、日本、中国、朝鮮半島、東南アジアの境界域にあたる地域であった。交易国家とは境界域に成立した国家であると見ることができる。(吉成直樹著『琉球の成立―移住と交易の歴史』)>。

 どれだけの規模の移住があったのかはわからないが、城久遺跡群が交易拠点だったとすれば、沖縄諸島へのモノの移動だけでなく、ヒトの移動もあったことはありうることだ。ただ、南下した移住者は、吉成氏が指摘するように、喜界島からだけではなく、九州や倭寇、朝鮮の人びとまで含めて考える必要があるだろう。

 沖縄諸島への沖縄以北からの集団的なヒトの移住は、農耕社会からグスク時代に向かう琉球に、大きな影響を及ぼしたことは確かだろう。
 吉成直樹氏は、次のような見解をのべている。
  <グスク時代開始期における沖縄社会の状況を考えるならば、さほど大きな人口規模の移住を必要とせずに、社会を大きく変革させることは可能だったはずである。この外来者の移住によって旺盛な交易社会が成立し、たとえ穀作による農業社会の発展による財の蓄積によらなくても権力を集中させることができる政治・社会システムが形成されたと考える。…交易社会を形成する主体となったのは、グスク時代開始期に渡島した外来者たちである。…
 この13世紀の沖縄諸島社会の大きな変化は、琉球弧における喜界島から沖縄島へという重心の移行に関連している可能性がある。(『琉球の成立―移住と交易の歴史』)>
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