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大城按司墓と大城城址をめぐる(3)、東大里城主の汪英紫

 東大里グスクを攻略した八重瀬按司
 大城按司とグスクをめぐる伝承をみてきたが、尚巴志が琉球を統一する前の時代である。かつて沖縄本島は、南山、中山、北山の3つの小国に分立していた。なかでも南山は、様々な有力な豪族・按司の争いと盛衰があり、とても複雑で興味深い歴史がある。大城グスクとかかわる東部の大里、佐敷あたりの歴史を振り返っておきたい。
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                    東大里城跡
 14世紀にいまの八重瀬町の東風平・富盛南方にあった八重瀬グスクの按司・汪英紫(おうえいし)が、いまの南城市大里にあった島添大里グスクを攻略する。
 <南山王承察度の弟八重瀬按司汪英紫は兄に従わず、東海岸の馬天港から明国と交易することを計画。そのため東大里城を手に入れることが必要であった。城主は従兄弟の玉村按司であった。一人息子の若按司を娘に誘惑させ、駆け落ちしたので、東大里城を乗っ取ることに成功した。八重瀬城を息子のカニカマドゥーに任せ、南山の東半分を支配して下之世之主と称した。南山は完全に二つの勢力に分断され、東大里は南山本家をしのぐ勢いであったようである。(『琉球王国の真実~琉球三山戦国時代の謎を解く』伊敷賢著)> 
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                     東大里城跡の説明板から
 「下の世之主」とは、「上の世の主は天の神(太陽神)、地を治めるのが下の世の主」ということになる(与並兵生氏)。
<中山にも、北山にも、王以外の名で独自進貢した者はおりませんが、「王叔汪英紫」は特別に認められたわけです。しかも、その汪英紫の進貢回数は、南山王承察度を上回るのです。どっちが王だか、分からないほどの権勢ぶりです。
 島添大里グスクに入って権勢をふるった汪英紫は、島尻大里グスクにいる「甥」の南山王を抑えつけながら、豊見城に二男の汪応祖(おうおうそ)を、八重瀬グスクにたぶん長男の達勃期(たぶち)を配して、挟み打ちの形で監視体制を取ったと思われます。…このように二重三重に南山グスクを抑え込んで、汪英紫は南山の実権を掌握し、南山王を圧迫していたのです。(与並岳生著『新琉球王統史 察度王 南山と北山』>
 島添大里(南城市)と島尻大里(糸満市)は言葉が混同しやすいので、伊敷賢氏の表記にならい、東部にある島添大里を「東大里」と表記する。
 東大里グスクを手に入れた汪英紫は、さらに野望をつのらせる。
<東大里城主となった汪英紫は、隣の大城に食指を伸ばした。大城には「仲中山」玉城王の長男大城按司カヌシーの2代目真武(シンブ)がいた。汪英紫の息子の妻と真武の妃他はともに、垣花按司の娘で姉妹であった(伊敷氏)。>
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