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大城按司墓と大城城跡をめぐる(2)、大城按司の居城

 大城按司の居城・大城グスク
 大城按司墓から西方を見下ろすと、小高い丘陵が目につく。こちらが大城城跡である。城跡まで道路が伸びている。説明板があり、次のように記されている。
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 「標高130㍍を最頂部とする琉球石灰岩の丘陵上に形成されている。四方は急峻な崖上になっており自然の地形を巧みに取り込んで作られている別称『ウフグシクグスク』とも呼ばれている古城の一つである。
 築城主とその年代については定かではないが、口碑・伝承の中では14世紀の初め頃に大城按司(麻真武)によって築かれたと伝えられている。場内には平らな面が広がり、南側に城門を開き、本丸と二の郭から築かれている。城壁は崖上に沿って野面の石積みで取り囲んでいる。1990年に村の分布調査の結果からはグスク土器、中国製の磁器、褐袖陶器、刀子、鉄釘等が出土した。おおよそ14世紀から16世紀までの資料となっている」。
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 『大里村史資料編』では、次のように解説している。
<玉城按司の次男が大城グスクの按司(大城按司)になったと伝えられているが、この伝説に従えば、大城グスクは14世紀頃の築城ということになる。
 このグスクはグシク時代の遺跡でもあり、採集される遺物からみると、14世紀頃の集落的性格をもっている。おそらく、稲福上御願遺跡のように、防禦集落として出発し、しだいに本格的な城塞へと発達していったものと思われる。城壁石積みがところどころに残っている。…
 城内からは多量の土器・輸入陶磁器のほか、鉄刃子・鉄釘などが多く採集されており、注目される。…
大里グスクと大城グスクとの間には緊張関係があったものと思われる。
右の土器分布状況と符合するかのように、大里グスクと大城グスクとの間に戦争が行われたという伝説がある。>

琉球の古謡集「おもろさうし」には、大里の大城を歌ったいくつかの歌謡がある。
一きこへ 大ぐすく みあがる ぢやうたてゝ しげち もちよせて
又とよむ 大ぐすく

訳文と解説
一聞え大城 見揚がる城門を建てて 神酒を持ち寄せて
又鳴響む大城
大城の繁栄を予祝・讃美したオモロである。大城の見事な城門を建てて、神酒を持ち寄せて。酒は、しばしば富や繁栄を代表するものとして謡われる。
現在は、石垣もほとんど残っていないが、かつては立派な城門を備えたグスクで、繁栄していたことをしのばせる。
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一大ぐすく おやいくさ ぢやくに とよみいくさ みちへど みあぐも
又くにのねの おやいくさ

訳文と解説
一大城の御軍 大国鳴響み軍 見てこそいっそう見たがる
又国の根の御軍
 大城の御軍を讃美したオモロである。大城の御軍は大国に名高い軍である。その御軍は、見てこそいっそう見たいと思う素晴らしい御軍である。
こちらは、大城軍を讃美している。それほど広大な地域を支配していたとは思われないが、こうしたオモロがあるのだから、勇壮な軍がいたのだろう。
(おもろの原文、訳文と解説は『大里村史資料編』から)

 大城城跡の最頂部の広場には、いくつかの石が置かれている。広場周辺にはなぜか「津波古門中」「城間門中」など門中の名前を書いた石碑がぐるりと取り囲んでいる。

城跡内には拝所(上の六ケ所)がある。 
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「頂上の広場は、本丸館跡で、居座元(イジャムトゥ)と呼ばれ二十三の門中名が刻まれたコンクリート碑が立ち並び、ウマチーなどの行事にヌルをはじめ各門中のクディングァ(おこで)が祭祀を行う場所である」(伊敷賢著『琉球王国の真実』)

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