レキオ島唄アッチャー

泡盛酒造所を訪ねる

 豊見城市伊良波にある泡盛の蔵元、忠孝酒造では酒造見学ができるというので行ってみた。「くぅーすの杜・忠孝蔵」という見学施設がある。予約なしで行ったけれど、ちょうど見学開始時間前で、だれでもOKというので、案内していただいた。
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 忠孝の社名は、初代大城忠孝さんの名前に由来する。昭和24年「豊見城酒造工場」として創業。その後、昭和55年に組織変更をし、現社名である忠孝酒造となったそうだ。
 ギャラリーでビデオを見た後、施設を回った。ギャラリーの横に手造り泡盛工場がある。昔ながらの製造方法を再現した手作り作業をしていた。
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 見学にきて初めてわかったことは、泡盛を貯蔵する甕(カメ)を直接、自分で製造していることだ。酒屋が甕までつくるとはビックリだった。他ではないらしい。隣の建物が忠孝窯になっていた。
 なぜ泡盛メーカーが甕までつくるのか。泡盛は、甕で長い年月をねかせることでまろやかな風味がでる古酒(クース)になる。でもよい古酒を作るにはよい甕が必要だ。会長の大城 繁さんは、「酒造家として泡盛がよくなるような甕を開発したい」という古酒造りへの想いから泡盛メーカーとしては初めての泡盛を熟成させる甕の研究に取り組み、試行錯誤の上「南蛮荒焼甕」をつくり出したそうだ。
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 見学すると、職人の方がロクロを回して瞬く間に小さな容器を仕上げていた。
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 窯の隣には、木造古酒蔵がある。巨大なアルミの貯蔵タンクが林立している。建物全体をあえて木造で建築している。杉材を使っていると聞いた。沖縄には杉はない。それは杉の木は根を大きく張らずに上に伸びるだけなので、台風の多い沖縄では育たないからだという。
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 ギャラリーに、酒にかかわるとても興味深い器具を展示していた。
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 一つは 「ランビキ」と呼ばれる蒸留器。江戸時代に酒などを蒸留するのに用いた器具。陶製の深い鍋の上に冷水を入れた別の鍋を蓋にし、下から加熱して蒸発した気体を冷やして集めるようにしたものだという。
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 もう一つは「ターク」と呼ばれる魔法瓶のようなもの。15世紀初めから冊封使による貿易が盛んな頃、中国から伝来した。すず製の容器と木箱の間に綿をつめて、熱の発散を防いでいた。すずの酒器を使ったのも日本では琉球が初めてだったかもしれないといわれているそうだ。首里・那覇の士族が使用していたもの。
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 忠孝を見た後、ついでに、糸満市西崎に足をのばして、まさひろ酒造にも立ち寄った。私は前に見ているがツレが見たことがない。それに最近、新聞で面白い泡盛を詰めたビンがこちらにあることを紹介していたからだ。
 戦後は泡盛をつくっても酒を詰めるビンがない。それで、他の用途に使った空き瓶を泡盛を詰めるために使ったそうだ。
 ショップの2階に「座間味コレクション」として戦後の沖縄のあらゆる泡盛がビンごと展示してある。
 こちらはウィスキーの空き瓶のようだ。まあお酒を詰めるということでは共通点がある。
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 こちらは、ソースのリサイクルビンだという。1950年代のものだとのこと。
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 こちらは、ビールのリサイクルビン。ビールにしては小さいビンだ。1957年から1977年頃まで使われたという。当時は小さいサイズのビールビンが多く流通していたという。中身の泡盛もそのままだ。そういえば、今は見ないけれどかつてはビールの小ビンがあったことを思い出した。いまの缶ビールでいえば350ミリリットル缶にあたる。

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  これだけの泡盛を蒐集しているとは、とても貴重なコレクションである。
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