レキオ島唄アッチャー

奥間鍛冶屋の伝承をめぐって(8)、名門家だった真志喜奥間

 名門家だった真志喜奥間
 思わぬところで奥間大親と鍛冶屋をめぐる史料と解説に出会った。それが鎌倉芳太郎著『沖縄文化の遺宝』である。
 同書の「沖縄各地の遺宝と遺跡と神事」のなかに「5真志喜奥間神座」の項があった。そこから、抜き書きで紹介する。
<真志喜奥間家には、『元祖之由来記』(宜野湾真志喜村奥間門中)と表書きした古写本を伝えている。「元祖之伝説」として、この家の太古の祖神真志喜大神、中世の祖神真志喜五郎、次に奥間大親を元祖とする察度王の弟妹一族のことを記し、更に拝所として真志喜大神、真志喜五郎、奥間大親の死骨を祀ってある墓所の位置を記してある。…
                IMG_1819.jpg
                天女伝説のある井泉・森の川
 この森川は天女伝説で知られる奥間樋川の清泉である。本来奥間と呼ばれる家は、この水源地を司祭して稲作農業に支配権をもつ根所(根人の家)で、その祖神について同書に「夫レ我ガ立初一世ノ祖、玉城仲村渠三重殿(みいとぅん)ト云フ家ノ御元祖ノ内、天孫氏ノ又孫真志喜大神ナリ、真志喜大神ハ御在生の時、稲苗種子蒔植付教ヘノタメ、島々村々巡行シテ後、宜野湾真志喜村ニ住ミテ子孫繁昌シテ世ヲ終ルト云フ」とあり、また奥間樋川のある御嶽内には、岩の下穴に真志喜大神の死骨を収めてあることを記している。…
 
 次の祖神真志喜五郎の父は鎮西八郎為朝で、母は真志喜の奴留(ぬる)と記されているが、この奴留は、奥間の根人野峰按司の女子である。この按司の長男野峰大屋子には男子なく女子二人あり、その一人に通婚して真志喜五郎はこの家の世子となった。…
 真志喜五郎ハ海中ノ業ヲ能クシ、好ミテ島々ヲ巡行シテ後、帰郷シテ世ヲ終ル、此ノ五郎ハ外ニハ男子5名在リシト伝ヘアレドモ、内ニハ女子ノミ出生シテ世子ナシ、故ニ女子ノ家ニ祭リデ在リシガ、後来ニ至リテ奥間大親ガ入リ来リテ之ヲ祭ルト云フ…
と記されている。五郎の父が為朝かどうか、為朝も牧港で数月を閲したと伝えられているが、しかしこれは本土から渡航して行った大和人と見るべく、ともかくその子の五郎が航海業に従事し、島々を巡航して各地の名家に奴留や女子に子を生ましている。因に五郎の死骨を祀った御嶽の墓所を「大和墓」と呼んでいる。当村牧港は浦添城北面の良港であり、奥間根所はこの港に近接する名門家である。五郎はこの家の世子となり此所を本拠として、航海業による物資の輸送及び交易に従事していたように思われる。>
 
『琉球祖先宝鑑』でも、眞志喜五郎は「母は宜野湾眞志喜村の奴留也。在所は同村の奥間と云ふ家なり。五郎は内には世子なく外子が五名あり」とされている。
 ここでは、真志喜奥間家の家系が記されているが、祖父・並里按司、父・辺士名里主を祖先とする奥間大親とはまったく異なる系譜である。
 真志喜の奥間根所は名門家だった。ただ、真志喜五郎も男の子がいない奥間家に世子として入った。その五郎は、家の外には男子を生ませていたが、家の内には男子がいなかった。
 奥間大親も、男子のいないこの家に入ったという。
 『琉球家紋系図宝鑑』では、「真志喜五郎に跡目がなかったので養子に入って継いだのが奥間家である」としている。
 奥間大親が、国頭奥間村の生まれで、養子に入ったのが宜野湾謝名村の奥間家だという名称の一致は偶然なのだろうか。それともなんらかの関連があるのだろうか。よくわからない。
スポンサーサイト

沖縄の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<アルテで「下千鳥」を歌う | ホーム | 奥間鍛冶屋の伝承をめぐって(7)、「かぎやで風節」の由来>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |