レキオ島唄アッチャー

奥間鍛冶屋の伝承をめぐって(7)、「かぎやで風節」の由来

 「かぎやで風節」の由来
 沖縄で重要な儀式や祝いの席で必ず演奏される音楽に「かぎやで風節」がある。奥間鍛冶屋がこの曲の由来にかかわっており、少し横道に入るがふれておきたい。
 国頭村奥間の奥間鍛冶屋発祥の地に「かぎやで風節」の歌碑が建てられている。
 「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり ぺたとつきやさ」
 「思いがけない果報が身に付くとは夢にも見なかった。鍛冶屋で物を造る時のように風格がわが身にぺたっと付いた」という歌意である。
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 現在、一般に歌われる「かぎやで風節」の歌詞は「今日の誇らしゃや…」と始まるが、この歌碑の琉歌がもともとの原歌である。
 すでに紹介したように、伊是名島を追われて山原に逃げてきて奥間鍛冶屋に助けられた金丸が、のちに1470年、王位に就いたとき、その恩から奥間鍛冶屋の次男・正胤を国頭親方に取り立てた。正胤がその喜びを即興で詠んだのが原歌だと伝えられる。
 曲の題名も「かぎやで風」だけでは意味がよくわからない。いろいろ説もあるようだが、原歌で「かぎやで風のつくり」(鍛冶屋で物を造る時のように)と歌われている部分が、そのまま曲名になったとみるのが自然ではないだろうか。
 
 歌碑のすぐそばに「奥間鍛冶屋発祥の地」の碑も建っている。
 碑文は、泰期・金満按司は、明から当時貴重な品である陶器や鉄製品を持ち帰り、その製作・修理の知識・技術を身につけ、後に奥間に下って、鍛冶屋を始めたとされている。
                   奥間鍛冶屋発祥の地の碑
 奥間は、山林が間近で水・炭が豊富にあり、近くに鉄材料の仕入れや製品の積み出しに好条件な港があったこと、父である奥間大親の生誕地であることが奥間の地を選んだ理由と思われるとのことだ。
 金満按司が始めた鍛冶屋によって、琉球各地に鉄製の農具や生活用品が普及し、農耕・生活向上に大きな役割を果たしたと伝えられる。「この泰期・金満按司が奥間の鍛冶屋の始祖である」と記されている。

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