レキオ島唄アッチャー

奥間鍛冶屋の伝承をめぐって(2)、羽衣伝説

 天女と結ばれた羽衣伝説
 慶留間知徳著『琉球祖先宝鑑』は、奥間大親の子どもについて次のように記されている。
察度王
 居所は宜野湾謝名村の又吉東並里村当間と云ふ家也又同西原村奴留(ぬる)殿内也
察度王は元浦添按司なりしが西威王崩御に及び世子幼少にして母后政を乱す故国人世子を捨て察度を推し崇めて中山王となす既に即位し玉ひてより弥々徳化厚く士民皆心服し災を消し国家豊穣となる在位五四年寿八十九才也
                  宜野湾の森の川
                   羽衣伝説のある森の川
 金満按司
在所は宜野湾眞志喜村の奥間と言ふ家也。此の按司は唐大和往復せられ金銀多く求めて国頭奥間村に治金術を伝へられたる始めなり子は一男一女出産して後父の相続の為め宜野湾眞志喜村に帰郷せられりと言ふ後室は同村の奴留也
御父は奥間大親
祖父は辺士名里主也
曾祖父は並里按司也
 
                    IMG_1823.jpg
              天女羽衣像(森の川公園)
中山王となった察度
 奥間大親の長男、察度が中山王になったいきさつは興味深い伝承がある。
 <察度王は宜野湾の謝名(現在の字真志喜)の出身だと伝えられている。…
 察度王は浦添間切謝名村の奥間大親(おくまうふや)の子で、母は天女であった。…大人になった天女の子察度は親不孝で怠け者であったが、不遜にも勝連按司の娘へ結婚を申し込む。当然ながら勝連按司に断られたが、その娘は察度の非凡なるを見抜いて按司を説得して二人は結ばれる。察度の草庵に嫁いだ娘は、かまどの灰の中から黄金をみつけ、これが察度の畑に産出することを知った。そこで二人はこの金銀を掘り出し、その地に楼閣(黄金の宮)を建て霊地として崇め奉った。
 さて、金銀を手にした察度は、浦添の牧港にやってきた日本商船の鉄をすべて買い取ったが、察度は慈悲の心深く、この鉄で農具を造り農民に分配し、また貧しき者をよく助けた。こうして人望を集めた察度は浦添按司となった。その頃、非道の政治を行なってきた中山王西威(いりい)が逝去したが、衆人は幼少の世子を廃して浦添按司察度を中山王に推し、ここに中山察度王統が成立した。1349(至正9)年のことである。『宜野湾市史第1巻通史編』> 
察度が王位に就くうえで、大和から買った鉄器が重要な役割を果たしたことがうかがえる。
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