レキオ島唄アッチャー

八重山の定納布と御用布、その3

 貢納布を織る女性の労苦
 貢納布を織る女性は、多大な労苦があった。
 大浜信賢氏は『八重山の人頭税』からそのさわりを紹介する。
 貢衣布の縞柄(図案)は、首里王庁のみならず薩摩からも送られてきたようで、この図案が到着すると、蔵元では複雑なものと簡単なものとに分類して各村に配布する。各村番所の役人は、その縞柄の難易によって織女を定める。いよいよ織ることになると、織女の予定が久葉の葉に書かれて村番所に掲示されるので、この表を見てそれぞれ自分の定められた日に定められた織場で仕事をする。
 織物に手を着けるまでは、婦女は毎晩番所に集合し、松明の光で苧麻糸を紡ぎ、佐事補佐(さじぶさ)と称する監視役の下で夜業を強行させられた。…
 さて、いよいよ織物を織る時は、複雑な柄や御内原布といった貴重品には、役人がつきっきりで監督したものであった。なかでも、王族用の精緻なものなどは、各村の熟練した織女が交代で織ったものだが、いくら精出しても1日に3寸か5寸がせいぜいであって、1尺も織れるものはいなかったようである。それも苦しさに泣きながらであって、1反織るのに2,3カ月ぐらいはかかったという。
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                      八重山の絣柄(新垣幸子さんの講義資料から)


 御用布への褒美は掠め取られる
 御用布を織る女性には、苦労米が出ることになっていた。しかし、実際には役人によって中間搾取されていたことをすでに紹介した。
 改めて、琉球王府時代の史書によって見ておきたい。
 「王府から御褒美に下される御用布の代米を、百姓に配当するべきところをそうせず、仕上世座(薩摩への上納物を司る王府役所の一つ)の役人らが掠め取り、百姓が困っているというのはどういうことであろうか。今後は毎年の御用白木綿布代と同様に、百姓の上納米から差し引きべきこと」
 「諸御用布は、村々に公平に割り付けること。ただし在番・頭が時々見届けなくてはならないような模様などは、石垣四か村を基本に在番所に近い村々に割り付けること」
 「御用布の織女らへの苦労米は、すみやかに渡すべきなのだがなされていない。渡すのを引き延ばした上、不公平なこともあり、人びとは困っていてはなはだ良くない。今後は在番・頭・惣横目の目の前で公平にすみやかに渡すように計らうこと」(『翁長親方八重山島規模帳』1857年)
 
 王府は、役人を八重山に派遣し実情を調査した結果にもとづいて、不公平や不正の是正を求めて布達している。しかし、王府の指導があっても容易に改善されない現実があった。その17年後に八重山に派遣された富川親方の『規模帳』でも、前回と同じような問題の是正を布達している。
 「王府から褒美として下される御用布の代米は、百姓に配当すべきであるがそうはせず、仕上世座(薩摩への上納物を司る王府役所の一つ)の役人らが掠め取り、百姓が困っているので、以前に取り締まりを仰せ渡してあるとおり、毎年の御用白木綿布代と同様に、百姓の上納米から差し引きべきこと」
 「諸御用布は、村々に公平に割り付けるべきである。ただし在番・頭が時々見届けなくてはならないような模様などは、新川より白保までの9カ村に割り付けるべきこと」
 「御用布は、上布は正女(15歳~50歳までの女性)に、中布・下布は正男女に割り付け、そして士族は右の布を、諸御用布は百姓の正女で織り調え、過不足を差し引きするきまりであるが、そのとおりになされておらず、いろいろ不公平になり百姓らを迷惑させているが甚だどうかと思うので、以後は士族・百姓らに年々規則どおりに申し付け、全て沖縄に積み上らせ、上納する物以外は御物奉行の許可を得て売り払い、苧・藍や諸品を買って帰り、百姓らが余分に織り調えた分に応じて配分して渡し、公平にきちんと行き届くように差し引きすべきこと」(『富川親方八重山島規模帳』、1874年)。
 
 百姓に渡すべき手間賃を役人が掠め取るという不正は根深いものがある。八重山農民を抑圧して、まともな人間扱いをせずに徹底して搾り取るという人頭税制度のもとでは、王府が表面的に改善を掲げても、なんら是正されないまま横行していたことを示している。

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