レキオ島唄アッチャー

八重山の定納布と御用布、その2

定納布は士族女性だけが織ったのか?
 御用布・上納布について、「人頭税時代の女性に賦課された織物で、上納布は士族の、御用布は百姓の女に課せられたものであった」という見解がある(沖縄国際大学南島文化研究所編『近世琉球の租税制度と人頭税』、「『聞き書き』御用布(グイフ)物語――明治・大正期八重山女性の労働の一面――」、山里節子・登野城ルリ子[採録])
 果たしてそうだろうか。まったく異なる見解もある。

大浜信賢氏は『八重山の人頭税』で次のようにのべている。
 「貢衣布は主に平民の婦女が織ったもので、士族の婦人の織るものはカナイ・アリフといって、苧麻で荒織りしたもの、たとえば生年祝いの舞踊に用いる幕とか、カナウツパイのような物であったようだが、平民婦女は精緻な上布を織って上納したようである。
 ところが、当時の百姓女の中には、上布を織る技能のない者が多かった。これら不器用な百姓婦女は、比較的余裕のある士族の婦女にたのんで、自分に割り当てられた上布を織ってもらい、その代償として甘蔗や雑穀類を提供した、ということであった」
 大浜氏は、「貢衣布は主に平民の婦女が織った」とのべている。
 前述の「『聞き書き』御用布(グイフ)物語――明治・大正期八重山女性の労働の一面――」、山里節子・登野城ルリ子[採録])のなかでも、長田マツさんの証言は、士族女性はもっぱら「アリフ」を織り納めたとのべている。
 「女はね、皆んな15歳になると(貢納)がついたものです。この貢納(カナイ)のついた女を貢納付き女(ミドゥン)といいました。貢納がつくとフダニンの1人になります。このフダニンが何人か1組になって1反の貢納布を織って納めたらしいのです。
 御用布(グイフ)には士族の納めたアリフと、平民の納める上布とがありました。アリフというのは苧(ブー)の疎く織った布のことで、主にウッパイ(被風呂敷)などに使われていました。上布というのは貢納布のことで平民の納めた柄のある上等の布のことなんです。ユカルピトゥ(士族)はアリフだけを納め、平民は上布を納めさせられたわけです。そのつらさはユカルピトゥが1日に5寸織るとすれば、平民は1日に1反織らなければならないという程の差があったということです」
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                     機織り
 士族に比べて平民女性の貢納の労苦が大きかったことを明らかにしている。
 (注)この証言で「御用布」は貢納布と同じ意味で使われている。
 士族の俗称として「八重山では廃藩前までは、士族とはいわずに俗に『ユカルピィトゥ』、平民は『ブザ』とよんでいた」(牧野清著『新八重山歴史』)。
 
 もし定納布は士族、御用布は百姓女性が織ったということになると、奇妙なことがおきる。というのは、御用布は石垣島の9カ村で織り、離島では織らなかったとされる。では御用布のなかった離島の平民が定納布も織らなければ、人頭税による貢納布はなかったことになる。これは明らかに史実とは異なる。
士族女性はもっぱら定納布を織ったとしても、定納布は士族女性や離島を含む女性全体への一般税であり、御用布は石垣島9カ村の百姓女性が織らされたということではないだろうか。

 同じ女性でも士族と百姓には格差があった
 貢納布を織る女性でも、士族と百姓・平民では大きな格差があった。大浜信賢著『八重山の人頭税』では「重税の族籍別観察」として、次のように明らかにしている。
 「この人頭税は、建て前としては八重山の住民全体に課せられたのではあるが、平民に対する課税は厳しく士族に対しては比較的軽いものであった。これは正男の場合だけではなく、正女の御用布納税においても士族正女に軽く平民正女に重かったことは、すでに第5表(正男正女に対する税品賦課、※別表)で説明したとおりである。当時の八重山における士族の数は、笹森儀助の調査にもあったように、その数は非常に多く、八重山人口の3分の1は士族であった。すなわち恵まれた者一に対して苛酷な収奪をされた者二の割合だから、平民はいくら働いても追いつかないわけである」
                    八重山織物の課税表
 この表を見ると、士族正女は白上布、白中布、白下布合計247反を納める。平民正女は、同じく合計355反を納める。これとは別に与那国島平民正女が白上布98疋を納める。「定納布は白上布・白中布・白下布の3種目」とされているので、この白上布、白中布、白下布が定納布とすれば、与那国を除く602反のうち、士族女性が41%、平民女性が59%を占めることになる。つまり、白上布、白中布、白下布は士族女性だけではなく、より多くを平民女性が織っていたわけである。
 それだけではない。平民女性は白上布など以外の貢納布がとても多いことが特徴である。新川、石垣、大川、登野城、平得、真栄里、大浜、宮良、白保の9カ村の正女が20舛細上布は70反を納める。これは9カ村女性だけが織るので、明らかに御用布と見られる。
 さらに、与那国島を除く平民正女が、18舛細上布150反、17舛細上布500反、19舛縮布10反、20舛木綿布111反を納める。これら平民正女の貢納布は合計901反にのぼる。これは、定納布か御用布か区別はわからない。
「上納布は士族女性が織った」というと、なにか貢納布のなかで士族女性が大きな負担をしたような誤解を与える。でも、この表でみると、八重山の正女に対する税品賦課は合計で1503反(別に与那国98疋がある)になるが、そのうち、士族女性はわずか16%にすぎない。平民女性が84%という圧倒的多数を負担している。八重山は人口比で士族が3分の1もいたといわれる。貢納布は「士族正女に軽く平民正女に重かった」という指摘はうなずける。
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