レキオ島唄アッチャー

八重山の織物・芭蕉布、その3

 「唐ヲゥーつむぎ」とは
最後に、もう一度、民謡の「芭蕉布」にかえる。
三番の歌詞は次ぎのように歌われる。
「♪今は昔の首里天加那志 唐ヲゥーつむぎはたを織り
   上納ささげた芭蕉布 浅地紺地の我した島沖縄」
「首里天加那志」(シュイティンヂャナシ)とは首里王府の国王を意味する。
その次の「唐ヲゥーつむぎ」という言葉は、意味がよくわからないまま歌っていた。
  作詞者の吉川安一さんは自著で次のように解説している。
「私が少年の頃、母親が唐ヲゥー(芭蕉の繊維)の一糸一糸に愛情を込めて、芭蕉布の機織りをしておりました。原体験の母親への思いが芭蕉布の経(縦)糸です。そして、沖縄の自然と文化・歴史が緯(横)糸です。その経糸と横糸とが織り成した作品が芭蕉布だと考えております」(『ふるさとふるさと』(やまねこ出版、2004年)
「私は鳩間島の出身、小さいころから母が芭蕉布を織っていた姿が忘れられない」(同書掲載の新聞記事)
鳩間島では「芭蕉の繊維」のことを「唐ヲゥー」といっていたそうだ。歌詞は「芭蕉の繊維を紡ぎ、機織りをして上納ささげた芭蕉布」という意味になる。
               
私はこの曲の解説を読む前は、「芭蕉布」に歌われる舞台は、首里城が出てくるので、機織りの情景も沖縄本島のことなのかと勝手に思い込んでいた。でも、これを見ると、鳩間島で芭蕉布の機織りをしていたお母さんへの思いが込められている。「上納ささげた芭蕉布」というのも、八重山の人頭税のもとでの貢納のことを意味していることになる。
 なぜ、芭蕉の繊維が「唐ヲゥー」呼ばれたのだろうか。
  「糸芭蕉は南方貿易により1300年代から1400年代にかけて伝来し、その後各地に広まったと推測されている」そうなので、「唐ヲゥー」と呼ばれたのだろう。
吉川氏は、この曲の歌いだしにある「海の青さに 空の青」の歌詞にある「『青』は、平和を希求する色彩」とのべ、そこには自分の「思想・心情」を込めているという。
これから「芭蕉布」を歌う時には、その意味をよくかみしめて歌いたい。


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