レキオ島唄アッチャー

沖縄戦の戦跡を訪ねて、伊江島

 沖縄戦の縮図・伊江島
 伊江島は、沖縄戦の縮図のような悲劇の島である。城山(タッチュー)を正面に見る場所に、慰霊碑 「芳魂之塔」が建っている。そのそばには、犠牲者の名前を一人一人刻んだ碑もある。
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 1945年4月16日、米軍は伊江島に上陸してきた。6日間の激しい戦闘の末、日本兵2000人、住民1500人ほどが犠牲になった。芳魂之塔は、村民・軍人合わせて3500人余を慰霊するものである。
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 糸満市の「平和の礎」と同様の石碑は、村内の各地区ごと、県内の他の自治体は市町村ごと、県外は都道府県ごとに名前を刻んでいる。

 かつてはのどかな島だった伊江島は、終戦の前年に日本軍が「東洋一」といわれる飛行場を建設していた。米軍は、これに目をつけて激しく攻撃した。そして占領したのである。
 当時の島の住民の3分の1にあたる人々が犠牲になった。米軍上陸とともに、日本軍と住民はたちまち追い詰められ、軍によって一般住民も武器を持って突撃させられた。アハシャガマでは約120人もの住民が集団自決に追いやられるなど地獄の様相を呈したそうだ。沖縄戦の実相を各地で聞くが、住民まで突撃させられた話は、伊江島でしか聞かない。
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 初めて伊江島に行った時、伊江島の西方の南海岸の断崖にある自然壕、ニャティヤ洞・千人洞には入ったことがある。とても大きなガマなので、この名前がついている。戦時中は多くの住民が防空壕として利用した。ガマの中には、授け神として崇められている「力石」がある。子宝に恵まれない女性が持ち上げると願いがかなうという言い伝えがある。神聖な拝所でもある。

 2度目に伊江島に行った時、伊江港の前にある伊江村資料館では、「絵画で伝える戦争体験」の展示がされ ていた。
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 展示では、伊江島への日本軍の飛行場の建設から米軍の上陸、米軍の占領、その後の住民の収容などパネル展示されている。
 伊江港のそばには、「被爆慰霊碑」が建立されている。これは、戦争が終わった後の1948年(昭和23)8月6日午後4時過ぎ、島内東江上、東江前の北海岸地域一帯に集積された太平洋戦争中の爆弾を処理運搬する米軍爆弾処理船LCTの爆発事故が発生した。この時刻には、村営の連絡船が本島の渡久地から入港し、下船まもなく爆発した。乗客、船員ならびに出迎えの人を併せて102名(村内63名、村外39名)の尊い命が失われた。負傷者は73名(村内41名、ソンガイ32名)にのぼり、8家屋が全焼の被害を受けた。大参事の地である。
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  慰霊碑は「去った太平洋戦争が落とした大事故であり2度とこのような惨事が起こらない平和社会の建設を願う村民の思いをこめて建立する」と記されている。2001年2月に建立された。
 やはり、犠牲者の名前を石碑に刻んでいる。ただし、村内は63名全員の名前があるが、村外は13名の名前しかない。あと26人分の名前はないことになる。いまだ氏名の判明しない人がいるのだろうか。
 伊江島では、戦争が終わったあとも、米軍占領下で辛苦の生活を強いられることになった。
 戦争で生き残った島民は、慶良間諸島に強制移住された。2年後に帰島してみると、島の半分以上は米軍により航空基地に整備されていた。

 住民は戦争で荒廃した土地を耕し、家を建てやっと暮らし始めたところに、1955年、武装米兵が土地を強制接収し、家をブルドーザーで破壊し、火を付け住民を追い払うという米軍の暴挙に直面する。
 住民は、命と生活の糧である土地を奪われては生きてはいけない。米軍の理不尽な土地の強奪と基地建設に、屈せずにたたかいに立ち上がる。島内でのたたかいだけでなく、島外の県民にたいして「土地を奪われてどうやて生きていけばよいのか」と、米軍の横暴と村民の実態を訴える「乞食行進」を繰り広げた。
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 こうした土地を守るたたかいを語り継ぐ学習の場となった「団結道場」がある。
 現在も島の35%は米軍基地で、海兵隊の飛行場・演習場があり、パラシュート降下訓練など、訓練が行われている。団結道場には「演習地をただちに撤去せよ」のスローガンが見える。
 伊江島に行った際も、島を往来する船で、米兵らしき人物がいっしょに乗り込んでいた。
 現在は、「世界一危険」といわれるオスプレイの訓練が行われ、住民は不安、危険と背中合わせの日常にある。基地と訓練の撤去への願いは強い。
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