レキオ島唄アッチャー

オセアニアの海と大移動、その5 「航海術と船」

 広大な海を渡った航海術と船
 オセアニアの広大な海原を渡って行くのには、優れた航海術と船が不可欠である。現代のようなコンパスもレーダーもない時代にどのような航海術と船を持っていたのだろうか。 
 オセアニアの伝統的航海術は、星・星座、太陽、月などの天文現象のほか、風、うねり、波、雲、魚、漂流物、海の色やにおいなど、ありとあらゆる自然現象の規則性を利用している。
 
 航海術には、500以上の星・星座が使われる。カヌーの針路や島の方位などを示す星座コンパスは、十数個の星・星座で構成される。それらの星・星座の出没位置で32方位をあらわすのである。この星座コンパスは、ミクロネシアで「エタック」とよばれる、洋上で自船の位置を確認する方法にも利用される。ポリネシアでは、自分の島の真上を通過する星をゼニース・スター(天頂の星)とよび、南北方向への航海の導きの星にした。
 
 星が見えない昼には、太陽や波・うねりで方位を知る。
 北半球は北東、南半球は南東からの貿易風が卓越する。この風向きを利用して航海をおこなう。そのほか、雲の形で島の存在を知り、島にあたる反射波や漂流物、ダンカンドリなどが夕方に飛ぶ方向、特定の魚、暗礁などの海面の色、風上からのにおいなどで島が近いことを知る。 
                   双胴船カヌー、国立民族学博物館
                   双胴船カヌー(国立民族学博物館HPから)
 航海を可能にしたカヌー
 200年前までは、ダブル・カヌー(双胴船)がポリネシアの海の交通手段であったことがうかがえる。大型のダブル・カヌーは、30トンの積載量がある。30名の人間と豚・犬・鶏などの家畜のほかに、航海中の食料・飲料水と新天地でのタロイモ(サトイモ)、バナナ、パンノキの苗木などの栽培植物も積むことができた。
 このカヌーは、カニのはさみ形の帆を張り、向かい風にもかなりの角度で切りあがってジグザグ航法で前進することができる。高度な航洋性を備えたダブル・カヌーは、数千キロメートルの航海を可能にした。オセアニアの人びとが、数十日もの船上生活に耐え遠方の島々へと植民することができたのは、この船の乗り物のおかげである。…
 
 シングルアウトリガー・カヌー(本体の脇に浮子を付けたカヌー)は、快速船である。このカヌーは、船首船尾同形、向かい風でも大三角帆を船首から船尾に移動させて前進できる。1975年、沖縄への航海をなしとげたチェチェメニ号(注1)は、この型のカヌーの優れた海洋性を証明した。この型のカヌーは、8名の人員と1トンの荷物を積み、適帆で6~7ノットのスピードが出る。
注1・75年10月、中央カロリン諸島のサタワル島を船長以下6名がシングルアウトリガー・カヌーを操り、48日間、3000キロメートルを航海して12月、本部半島の沖縄海洋博会場に到着した。
 
 シングルアウトリガー・カヌーは、オセアニアの人びとが島に移住・定着してから、島間の人の移動や物の交換には欠かせない乗り物であった。
 航海術やカヌーの建造術、占いや嵐鎮めなどの術は、秘儀的な知識として親族集団の成員のみに継承される性格が強い。ハワイイやトンガなどでは、それらの知識は専門職能集団や階層に占有されていた。なかでも、航海術は、最も重要な知識として位置づけられてきた。 
 以上は、須藤健一著「オセアニア航海術の伝統と現在」(国立民族学博物館編『海の人類大移動 オセアニア』)から紹介した。

ポリネシア人は東からの向かい風に逆らって航海した。そのためポリネシア人の世界観では、東ないし北に向かって航海するのを登る、逆に南および西に航海するのを降りる、と表現する。東へ向かう航海は陽の出ずる場所に向かう水平移動であると同時に、天に向かう垂直移動でもあった。天はポリネシアの創造神、タンガロアが居ます場所である。彼方の水平線を見れば、空と海が交わっている。しかしそこにたどり着くとまたその先に空がある。人々は大海原にときおりかかる虹を見て、世界も虹のように層をなしていると考えた。今見えている水平線まで辿り着けば、天空界の第一層にたどり着く。その先には第二、第三の層がある。だから虹は天と地をつなぐ階段であるとイメージされた。
  この項は、後藤明HP「海の民俗誌」から紹介した。
スポンサーサイト

海洋世界 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<アルテで「小浜節」を歌う | ホーム | オセアニアの海と大移動、その4 「ラピタ文化」>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |