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沖縄戦の戦跡を訪ねて、沢岻に建つ慰霊碑

 沢岻に建つ慰霊碑
 浦添市沢岻(タクシ)を巡っていると、沢岻拝所のそばに慰霊之碑が建っていた。この碑は、心こもった碑文の内容に注目した。
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「ここはふるさと沢岻の丘 静かに安らかに眠ってください 私たちは二度と あの残酷な戦争を 起こさないように 子や孫たちに 平和の尊さを 語り伝えます 平和を守ることを 誓います それが何よりの 供養になることを信じ 345柱の御芳名を刻銘し ご冥福を祈ります」
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 碑の中央に戦没者名が刻銘され、右側に碑文、左側には「鎮魂の詩」が刻まれている。
 「永久(トワ)に平和を求めて 沢岻の人(シマンチュ)は 安らかに眠れとぞ祈る 故郷(サト)の高嶺に」。「仁儀」とあるのは作詩者なのだろうか。
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 沖縄戦では、1945年4月1日に読谷から北谷にかけての海岸に上陸した米軍が、司令部のあった首里に向けて南進してきた。日本軍は、宜野湾市から浦添市、那覇市にかけて高地に陣地を築いていた。嘉数高地、前田高地などで激しい戦闘が続き、日本軍は甚大な犠牲者を出し敗退していった。
 5月12日には沢岻が激戦の地となる。『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』では次のような記述がある。
 「沢岻方面においては12日早朝から澤岻高地台上の争奪の激戦が繰り返され、遂に夕刻には台上の大部は占領され⋯⋯同夜台上奪回の逆襲を行ったが成功しなかった」
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 「澤岻高地地区では13日引き続き激戦が展開され、第64旅団の中堅として勇戦敢闘して名指揮官とうたわれた独立歩兵第23大隊長山本重一少佐以下多数の戦死者を生じ、澤岻高地は完全に占領された」
 「慰霊之碑」の向かい側に、軍人の慰霊之碑があった。「嘉数、安波茶の戦闘を経て山本部隊長以下この沢岻の台地に於いて玉砕す」と記されている。1945年5月13日である。
 激戦のため、沢岻の地域では、145棟の民家は1棟を残して戦火につつまれたという。いま、眺めの良い沢岻高地の平和はたたずまいを見ると、悲惨な戦争は絶対に繰り返してはならない、という思いがこみ上げてくる。
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 沢岻の自治会では、ここの慰霊碑の前で慰霊祭を開催している。
子ども会では「沢岻戦跡めぐり」を行い、野戦病院跡や弾薬庫、防空壕など戦跡を回る取り組みもしてきたという。


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