レキオ島唄アッチャー

宮古民謡「御船の主」をめぐって、その2

 御船の親の御嶽
 宮古島市上野(旧上野村)字新里に「御船の親の御嶽」(ウウニヌシュウヌウタキ)という拝所がある。御嶽の由来を説明板から紹介する。
 「宮古島旧記」に「野崎真佐利南の島より連れ帰りし事」と題する記事がある。御船の親は船頭として琉球へ上がり、帰途逆風にあって南のアフラ島に漂着した。水主、野崎真佐利は島の女に取合って夫婦の契を結び、島の風俗を女から教えられたが、御船の親は殺された。真佐利は女の協力によって島を脱出し、御船の親の首を新里まで持ち帰ることができた。
  この御嶽は持ち帰った首を納めたミヤーカ墓の跡である。
 
 アフラ島とは、台湾の東の洋上に浮かぶ小さな「緑島(火焼島)」を指すとのことだが、緑島には同様な伝承はないという。
 緑島を地図で見てみると、確かに台湾から東に少し離れた洋上に小さな孤島がある。宮古島、八重山から船が流されると、漂着するような位置関係にあるので、そんな伝承があるのもうなずける。
 さて、「御船の親」の工工四(楽譜)を見て三線で弾いてみると、たしかに「デンサー節」と曲調は似ている。といっても、デンサー節の前半部分と似ているが、後半部分はちょっと違うようだ。
 それに「デンサー節」は八重山民謡でももっとも典型的な教訓歌である。でも、この「御船の親」は教訓歌ではない。古い伝承によると亡き夫を偲ぶ歌詞である。
 あまりにも歌詞が違うので、似て非なる曲ということかもしれない。民謡が島から島へ、村から村へ、人から人へ伝わる場合、旋律と歌詞が少しずつ変化をとげてゆくが、多少は似た部分が残るのが普通である。
 なかには、八重山から沖縄本島に伝った民謡のように、旋律だけ使って、歌詞をまるっきり替えて歌っている例もある。
 もし仮に、「御船の主」と「デンサー節」が同じ元歌から出ているとすれば、宮古島の「御船の主」は歌の由来となる伝承があるので、この曲が替え歌とは考えにくい。
                
 
 「デンサー節」は、西表島上原村の与人を勤めていた宮良親雲上里賢が当時、村の風俗が乱れていたため教訓歌をつくり流行らせたという(仲宗根幸市著『琉球列島島うた紀行』から)。こちらも由来のある曲である。ただし、士族が教訓歌を作る場合、旋律から新たに創作するよりも、教訓を詠んだ琉歌をすでに知っている歌の旋律にのせて歌うことが手っ取り早い。
 民謡のなかで、民衆の日々の暮らしや労働のなかで心の中から湧き出る思いを歌った曲や実際にあった出来事をテーマとする叙事的な曲は、歌詞と旋律は密接なつながりをもつけれど、教訓歌の場合は、歌詞と旋律は一体性がなくてよい。好きな旋律にのせればよいだけだ。
 そう考えれば、八重山のデンサー節も、すでにあった旋律をもとにアレンジを加えて作詞・編曲して作ったこともありうることではある。
 はたしてデンサー節は「御船の主」を元歌としているのか、それとも曲調が似ているのは偶然の産物なのか、真相はよくわからない。
 幸い、YouTubeに両曲ともアップされているので、それを紹介しておきたい。それぞれの歌の内容や魅力を味わうことにしたい。
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