レキオ島唄アッチャー

「忘れかけた子守唄」をめぐって、その3、「あのジョニーはもういない」

 アイルランド民謡の反戦歌には「ジョニー、戦場」をうたったべつのうたがある。
「Johnny I Hardly Knew Yeh (Traditional Song)」という曲である。 「あのジョニーはもういない」と訳されている。
 上野洋子さんのブログから紹介する。
懐かしいアサイへの道をたどる時  ハルー ハルー
懐かしいアサイへの道をたどる時  ハルー ハルー
懐かしいアサイへの道をたどる時
私の手には杖、そして目には涙があふれます
私は哀れな乙女が悲痛な叫びをあげるのを聞いた
ジョニー、とてもあなただとは思えなかった

あなたの優しい瞳はどこへ行ってしまったの?  ハルー ハルー
あなたの優しい瞳はどこへ行ってしまったの?  ハルー ハルー
あなたの優しい瞳はどこへ行ってしまったの?
私の寂しい心を慰めてくれた、あの優しい瞳はどこへ行ったの?
なぜ、私や子供から逃げ出したの?
ジョニー、あなたのことほとんどわからなかった

ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに  ハルー ハルー
ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに  ハルー ハルー
ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに 敵はあなたを半殺しにした
いとしい人、あなたはとても変わってしまった
ジョニー、とてもあなただとは思えなかった

走り回っていたあなたの足はどこへ行ってしまったの?  ハルー ハルー
走り回っていたあなたの足はどこへ行ってしまったの?  ハルー ハルー
走り回っていたあなたの足はどこへ行ってしまったの?
あなたが銃を担いだ時、幸せな日々は終わってしまった
ジョニー、あなたのことほとんどわからなかった

あなたには腕もなく、足もない  ハルー ハルー
あなたには腕もなく、足もない  ハルー ハルー
あなたには腕もなく、足もない
目もなければ、鼻もない
あなたはお椀に施しを受けなければならないでしょう
ジョニー、とてもあなただとは思えなかった

ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに  ハルー ハルー
ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに  ハルー ハルー
ドラムと銃をたずさえ、銃とドラムとともに 敵はあなたを半殺しにした
いとしい人、あなたはとても変わってしまった
ジョニー、あなたのことほとんどわからなかった

あなたが家に戻ってきて私は幸せです  ハルー ハルー
あなたが家に戻ってきて私は幸せです  ハルー ハルー
あなたが家に戻ってきて私は幸せです
サルーン島から生きて帰れる人は少ないのだから
ジョニー、とてもあなただとは思えなかった
              
 ジョニーは戦争で半殺しにされた。腕も足もない。目も鼻もない身体になって帰って来たと歌われる。これは、小説と映画「ジョニーは戦場へ行った」の原型になるような歌の内容である。
 
 この曲と同じ旋律でアメリカでは「ジョニーが帰るとき(ジョニーの凱旋)」という曲が作られている。こちらもとても有名だ。
 「ジョニーが帰るとき」は、19世紀後半のアメリカ国内戦争(the Civil War)に関連する歌曲。北軍の帰還兵を迎えるために、アイルランド出身の作曲家パトリック・ギルモア(Patrick Sarsfield Gilmore/1829?1892)が、アイルランドの古い反戦歌「Johnny I Hardly Knew Ye」に新たに作詞した(「世界の民謡・童謡」HP)。
 歌詞(一部)の日本語訳だけを同HPから紹介する。
歌詞(一部)・日本語訳(意訳)
ジョニーが故郷に再び帰ってくるとき
万歳!万歳!
我々は彼を温かく迎えるだろう
万歳!万歳!
男達は喜び 少年等は叫び
みな陽気に楽しむ
ジョニーが故郷に帰ってくるとき
 「ウィキペディア」では、1863年にパトリック・ギルモアが南北戦争の北軍の帰還兵を迎えるために、酒宴の歌(Johnny Fill Up the Bowl)のメロディーに新しい歌詞をつけたものである。メロディーが同じである反戦歌『あのジョニーはもういない』(Johnny I Hardly Knew Ye)は1867年に発表されており、反戦歌の替え歌とするのは誤りである」
と指摘している。
           
  アイルランドの「あのジョニーはもういない」とは、相当に異なる歌詞の曲である。 アメリカ映画「博士の異常な愛情」「ダイ・ハード3」「7月4日に生まれて」などでよく使われた。アメリカでは、兵士の士気高揚のためによく演奏されてきたそうだ。YouTubeで聴くと、勇壮な感じで歌われている。

 PPMの反戦フォークには別に「悲惨な戦争」という曲もある。こちらにも「ジョニー、戦場」が登場する。
        
<悲惨な戦争 ジョニーも戦場に行かなければいけない 彼と一緒にいることができない 私も一緒に連れて行って>
 こんなような内容が歌われる。この歌も原曲はアメリカ南北戦争にまで遡ると言われるが、PPMは「オリジナル曲」としているそうだ。
 この曲も、GSグループ、ザ・スパイダースが歌っており、アルバムに収録されている。

 こうして見てくると、「ジョニー、戦場」を歌った曲がアイルランドやアメリカ、そして日本でもたくさん作られていることがわかる。「忘れかけた子守唄」を作詞したなかにし礼も、これらの曲からヒントを得たのかもしれない。
 GS全盛期は、一方でベトナム戦争の時代である。GSはあまり社会的なテーマを歌っていないと思いがちだが、平和への願いを歌った曲がいくつかある。そこには時代の反映があるのだろう。
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