レキオ島唄アッチャー

「忘れかけた子守唄」をめぐって、その1「ジョニーと戦場」

 「忘れかけた子守唄」をめぐって
 沖縄随一のGSバンド、SSカンパニーのライブを聞いていると、「ジョニー」「兵士」の言葉が出てくる曲があった。「ジョニー、兵士」といえばすぐ頭に浮かぶのが、アメリカ映画「ジョニーは戦場へ行った」である。強烈な映像で戦争の悲惨さを告発した映画だったので、いまでも記憶に残る。
            IMG_0385.jpg

 ちょうどライブで一緒だった友人に、「この曲はあの映画と関係があるだろうか?」と話すと、その場でスマホを検索した。「これはタイガースの『忘れかけた子守唄』で、なかにし礼の作詞ですね」と答えた。作曲はすぎやまこういちである。

 「忘れかけた子守唄」は、次ぎのような歌詞である。
兵士の群れが朝露に消える
母の姿が小さく残る
ジョニィの手紙が五月にとどく
げんきでいるよもうすぐ帰ると

母は毎日稽古をしてるよ
忘れかけた子守唄を
戦を終えて兵士が帰る
だけどジョニィの姿が見えぬ

兵士の群れが街角に消える
母の姿が小さく残る
母は涙でむなしく唄うよ
思い出した子守唄を
      
 兵士として戦場に行ったジョニーがもうすぐ帰るとの手紙が届く。息子を待ちわびる母親。でも帰還した兵士の中に、ジョニーの姿は見えない。子守唄を歌う母の目に涙があふれている。この歌が作られたのは1968年。アメリカによるベトナムへの侵略戦争が激しかった頃だ。アメリカでは反戦運動が高まった時代でもある。
 この曲は、LPアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」に収録されている。アルバムのイメージは、 "ポンペイの悲劇"(古代イタリアの火山噴火) からヒントを得、テーマも「誕生、平和、友情、恋、祭り、運命、兵士、母、死、英雄、人類の滅亡、再出発」と12に分かれている(渡辺プロのファンクラブ誌『ヤング』1968年9月号、(「えとせとらレコード」HPから))。
 ほかにも山上路夫作詞、村井邦彦作曲の「朝の別れにほほえみを」がある。ここでも歌の最後に「僕は行く あの戦場に」と歌う。平和がテーマである。
 「詩の内容では、『神話』『伝説』の世界に留まることなく、当時の現実としてあったベトナム戦争のことを暗示しているようでもある。 その意味では『忘れかけた子守唄』などは、当時流行していたフォーク・ソングのような直接的、もしくは揶揄的なアプローチとは違う、タイガースならではの反戦歌としても傑作だったと言えよう」と評されている(「えとせとらレコード」HPから)。

    
 アメリカ映画「ジョニーは戦場へ行った」は、ドルトン・トランボの脚本と監督により1971年に制作された作品である。カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、国際映画評論家連盟賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞という名作だ。
 トランボは、すでに1939年に反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』(原題: Johnny Got His Gun)を発表していた。原題は「ジョニーは銃をとった」である。「第一次世界大戦の志願兵募集の宣伝文句で、軍歌『オヴァー・ゼア』 (Over There)でも有名になった「ジョニーよ、銃をとれ(Johnny Get Your Gun)」という呼び掛けへの痛烈な皮肉となっている」という(ウィキペディア)。
 トランボは、第2次大戦後、アメリカで進歩的な映画人を標的とした「マッカーシズム」で映画界を事実上追放されたが、その後ハリウッドに復活し数々の名作を書いたことで知られる。

 映画「ジョニーは戦場へ行った」が作られたのはタイガースの「忘れかけた子守唄」よりも3年ほど後なので、なかにし礼が映画をヒントにして作詞したというのはありえない。では、原作の小説を読んでいたのだろうか。しかし、戦前に書かれたアメリカの反戦小説を68年ごろに読んだというのも不自然な感じがする。作詞にはなにかきっかけがあったはずだが、それは何だろうか。  
スポンサーサイト

音楽 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<「忘れかけた子守唄」をめぐって、その2、「虹とともに消えた恋」 | ホーム | 天気よくなり産業まつりへ>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |