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「八重山の歴史と文化」を学ぶ

「八重山の歴史と文化」を学ぶ

 「八重山の歴史と文化」と題した文化講座が始まった。沖縄県立芸術大学付属研究所が開いたもの。10月7日から来年1月27日まで15回にわたり、各分野の専門家を招いて講演してもらうという企画。八重山に関心のある市民にとって、歴史と文化の全体像をその分野の第一線にいる人たちから学べるという機会はめったにない。素晴らしい講座であり、県芸大附属研究所に感謝したい。
 第1回は、新城敏男氏(名桜大学名誉教授)が、「八重山の歴史の概論」と題して話された。とくに、「八重山研究の父」と呼ばれる喜舎場永珣について、その八重山の土を踏んで中央を眺める基本姿勢、郷土に対する愛情と誇り、反骨精神も旺盛だった歴史観、その業績を紹介するとともに、八重山研究の難しさ、喜舎場説の中の問題点にふれ、研究を深めることの重要性を指摘した。
 
 第2回は、島袋綾野さん(石垣市教育委員会)が「八重山の先史時代」をテーマに講演した。先史時代を「後期更新世(旧石器)」「下田原期」「無土器期」の区分にそって話した。
 後期更新世(旧石器)では、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で出土し話題になった人骨は、骨からコラーゲンを抽出し測定された年代では国内最古であること、DNAの分析も進められているおり日本本土より南の地域に多いDNAタイプであるとのべた。
 下田原期は本州の縄文時代の後期、晩期にあたり、土器・石器・貝器など遺物の組成は縄文時代と同様だが、土器の形式がまったく違い、文様がない丸底の鍋形や浅鉢形土器が主で把手がついた器形が特徴だという。台湾の土器に似ていて、台湾以南の地域との関係が指摘されている。
 
 個人的に私がもっとも興味を引いたのは、次の無土器期である。
 新石器時代に土器のない文化は全国でも珍しい。しかも、古い下田原期に土器があったのに、その後に無土器の時代が来たことになる。
 土器を持った文化が、何らかのきっかけで土器作りをやめたのか、別の集団が入って来たのか、現在も議論が続いている。
 八重山では約3500年前、約2000年前の2回大津波があり、関係している可能性も考えられるそうだ。
 土器がないため、調理には焼石が利用されたと考えられる(遺跡から焼けた石が出土した例がある)。貝斧など、フィリピン、オセアニア地域と共通する要素があり、南から集団が来たという考えを支持する研究者が多い。
 無土器期は約2000年前~12世紀くらいまで続き、この期の終わりに九州からの遺物(鉄製品も入る)が見つかり、北からの影響が出てくるという。
 
 無土器期は南方から集団が来た可能性があるとすれば、南方には無土器文化があるのだろうか。島袋さんは質問に対して、「南のサンゴ礁で出来た島々は土器が作りにくいけれど、作れる島では作っており、八重山と同じ無土器文化はない」と答えた。
 
 そういえば、以前にポリネシアの島を紹介するテレビ番組で、焼石を使って調理する場面を何度か見た記憶がある。確かに、鍋など土器を使わなくて調理し食べていた。
 「紀元前1300年ごろに、東南アジア島嶼部からモンゴロイド系のオーストロネシア語を話す人々が拡散してきた。ラピタと呼ばれる美しい土器を作ったこの人々は、タロイモやヤムイモなどの根裁農耕を行い、イヌ、ブタ、ニワトリの家畜も飼っていた。この人々は帆のついたアウトリガーカヌーをあやつり、オセアニア全体に広まっていった」(国立民族学博物館HP)
ラピタ人はなぜか土器を持たなくなった。
 片山一道氏(京大名誉教授)は、「ポリネシアでは、紀元前後から数百年間の間に土器をもちいなくなり、焼石をつかった蒸し焼き料理(石焼き料理)が現在まで料理の中心になっている」とのべている(同HP「幻の海洋民族『南太平洋のバイキング』」)。
なぜ土器を使わなくなったのか。
 「ラピタ土器はポリネシアのほとんどの地域で途絶えた。これは小さな島などでは、土器を作るのに適した粘土が得られにくかったためと考えられる」(同HP「オセアニア」)。

 八重山で有土器から無土器文化に移ったのはなぜか。
 やはり土器を持っていた下田原期の人々が、2度の大津波によって壊滅的な被害を受け、その後に南方から無土器文化の人々が移ってきたのだろうか。移ってきたとすれば、どういう人々だったのだろうか。
 無土器文化と聞くと、なにか文明的に土器をもつ文化より劣っていると考えがちだが、無土器でも焼石調理をするのが当たり前の社会であれば、どちらが文明的に進んでいるという問題ではないのかもしれない。
 まだまだ謎が多い八重山の先史時代だが、それだけ今後の研究で明らかにされることが期待される。

 八重山の先史時代については石垣市教育委員会「八重山諸島の考古学」で見ることができる。
八重山諸島の考古学
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