レキオ島唄アッチャー

「与那国ションカネー」をめぐって、草履で迎える

「与那国ションカネー」をめぐって

 役人を草履で迎えた与那国島の女性
 歌劇「与那国ションカネー」を沖縄テレビ「郷土劇場」で見た。その中で、「おやっ!」と思ったシーンがあった。首里から役人が上納金を受け取る御物奉行(オモノブギョウ)として与那国島に派遣される。島に着くと、島の娘さんたちがナンタ浜で草履を並べて迎えたことだ。しかも、役人が浜に並べられた草履を選んで履くと、その草履を持って来た娘さんが、役人滞在中、賄いのウヤンマ(現地妻)になることから始まる物語である。
 写真はすべて沖縄テレビ「与那国ションカネー」の画面から

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  八重山古典民謡の「与那国ションカネー」は、確かに島に赴任した役人が、帰任することになり、賄女(現地妻)としてともに暮らした女性との悲しい別れの情景が歌われた名曲である。
  八重山諸島でも宮古島諸島でも、人頭税の時代に赴任した役人が目を付けた美しい女性を賄女としたという。滞在中に子どもまでもうけながら、任期が終わると女性を置き去りにして帰る。そんな悲話をテーマにした民謡もたくさんある。「与那国ションカネー」や多良間島の「多良間ションカネー」はその代表的な曲である。
  しかし、船のつく浜に娘さんが草履を並べて迎える風習や草履を持って来た女性が賄女になるという伝承は、これまで寡聞にして知らなかった。 
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  これは歌劇だから草履の話も創作なのか、と一瞬思った。でも、ネットで検索したところ、「美ら島物語 沖縄の島唄めぐり 恋し しまうたの風」がヒットした。「与那国ションカネー」の元歌である「どなんスンカニ」を説明した中で、草履のことを次のように紹介していた。
  <荒波を越えて船でやって来た役人を島の娘たちが草履をもって迎えたというナンタ浜(波多浜)。長期滞在するうちに恋に落ちて深い仲となるも、やがて任期を終えると役人は八重山へ帰らなければならない運命。
  役人の帰る日が決まると、愛するひととの別れを惜しみながら「スンカニ」は十山御嶽(注・拝所)で唄われていました。
  ナンタ浜からほど近い十山御嶽は、与那国島にある12の御嶽を統轄する最上位の御嶽です。
  絶海の孤島からふたたび八重山へ、厳しい船旅を強いられる愛する人の航海安全を島の最高位である十山御嶽で願ったのです。
  当時、役人と最果ての島の娘がふたたび邂逅することは皆無に等しいことは想像に難くありません。愛する人と二度と会えないかもしれない別れ。>
  この文章は、与那国島を取材して書かれており、このような伝承があることは確かなようである。
  これによると、王府時代に船でやってくる役人を娘さんたちがナンタ浜で草履をもって迎えたことは実話だったようだ。しかし、草履を履いた役人には、その草履を持ってきた娘さんがウヤンマ(賄女)になるとは書かれていない。ここでは、役人が滞在中に娘さんと恋仲になることがあるけれど、任期が終えると別離となる運命にあることが紹介されている。
  実際はどうだったのだろうか。島の人びとが、島に来る役人をなにかと接待することは与那国島に限らずどこでもよく行われただろう。王府の時代、石垣島はもちろん首里から琉球列島の西南端の孤島である与那国まで行くのは、生易しい航海ではない。遠路やってくる役人を迎えるのに、娘さんが草履を持って迎えるというのも、特別のもてなしだったに違いない。

  八重山では、「一般の女性は土足の上に、粗食粗衣で毎日野良仕事に従事」する状態だった(喜捨場著『八重山民謡誌』)。テレビで見たこの歌劇でも、首里からきた役人たちは草履を履いているが、与那国の娘や村人は裸足である。島に降りた役人は、それまで履いていた草履を抜いて浜にある草履に履き替えていた。史実を踏まえた描写ということだろう。
 島に赴任し何年か勤務する役人だけでなく、この歌劇のように3か月ほどの滞在期間でも、出迎えた娘さんの中から賄女が選ばれることはありうることだと思う。 
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  ここで思い出したのは沖縄本島民謡の「取納奉行(シュヌブギョウ)」である。取納奉行というのは、税金を定めるためにやってくる役人である。勝連半島沖の津堅島(ツケンジマ)に役人がやってくるときの騒動を描いている。要旨次のような歌詞(訳文)である。
 「♪意気込む取納奉行はいついらっしゃるか 津堅の崖に登って浜を見たら奉行がお越しになる 浜に着くと奉行が言うことには 今日は娘を取ってくれよ 津堅の頭(カシラ)たちよ 奉行の相手の娘に誰がなるか 津堅神村祝女殿内(ヌンドンチ)のカマドに頼もう あれほどの奉行の前に近寄るのに 下着も下袴も着けない者を行かせるのか 下着、下袴を貸せば行くか 応じれば金儲けができる いやいやすると尻をぶたれるぞ 根殿内(ニードンチ)のばあさんが娘に同伴して お宿に連れて行くのだ 五人の娘たちは お宿で男女の語らいをして 奉行はお喜びされた 奉行の贈り物は 匂い髪付け、紙包など数々あった 他の役人の贈り物は手拭い、指輪だけ 貧乏役人は取り持った甲斐もない」

  ここでも、5人の娘さんが選ばれて役人の泊まる宿に出向いて、男女の語らいをして役人を喜ばせたことが歌われている。
役人ににらまれるとどのような仕打ちをまねくかもしれない。島民が役人をもてなすために、とくに若い女性による接待を行なったことは、与那国島でも、津堅島でも同じだったのだろう。
  津堅島の例に見るように、接待をすれば、役人から多少の贈り物があったことがうかがえる。賄女になれば、特典があったという。離島の女性が、首里の士族と結びつきをもつ機会になることから希望する女性もいたかもしれない。「その上役人との間に子が産まれた時には、血縁関係にあり密接な交際をする優越感があった」という(喜捨場著『八重山民謡誌』)。 
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 だからといって、好んで賄女になったとは思えない。島に来る役人の接待のメンバーは、島の有力者から半ば強制的に指名され、拒否したくても出来ない状況にあったのではないだろうか。現地妻となれば、滞在中は夫婦同然に暮らしても、任期が終われば役人は島を去り、二度と逢うこともない。女性は島に置き去りにされる宿命にあった。
 八重山諸島、多良間島、宮古島など、賄女の悲哀を歌った民謡がたくさんある。そこには女性たちの辛く悲しい涙の歴史がある。
 草履で迎える与那国島の習俗も、その背後には島に生きる女性の歴史が刻まれていることに思いをはせた。
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