レキオ島唄アッチャー

粟国島のヤガン折目、その7

 安里盛昭氏の「ヤガン折目のまとめ」の続きである(『粟国島の祭祀―ヤガン折目を中心に』)。
4、番所における神事の行政執行(王府・久米島・粟国島)
 粟国において大きく神事の形態が変わったのは1611年薩摩の実行支配がなされた時(尚寧23年)、番所が置かれた時からである。それまで久米島代官の行政監督下に置かれていたが、番所ができ初代地頭代が任命された。
 18世紀初めころまでには粟国島に八重村と浜村が新設され、血縁集団の神事への関わり方も変わってきたものと思われる。 
 久米島代官に管理された時代、それから公儀ノロが置かれた役人によってその統制がなされて来た時代である。…
 根神、根人で祀られた時代から世の主(与那城貴みキヨ)の時代になり、スイミチをソヨメキといい(注・古くはスイミチはソヨメキと呼ばれた)、スイミチ神はウブチ女童となる。

 仲松弥秀先生はスーミチ(潮満)のことを話されていた。つまり潮の満時期に上げ潮に乗って訪れる来訪神であるということである。…
 1611年番所ができ中山(王府)から役人が送り込まれて来る。
 それに伴って神事においても「王府・久米島・粟国」という構図が「王府・粟国」という直接的になり、その影響で神事に対しても政治色が極端に強くなる。それが祭政一致の色を強めることになってくる。
 行政が変わったからといって、村人の精神的糧の神事がそう簡単に変えられるものではない。だから王府は首長の地位を「貴みキヨ」から「大祖・御年寄」に変え、先祖神、あるいは世を祀る信仰から恐ろしい鎮魂の祭りを演出していくのである。 
                      ヤガン折目1
                            ヤガン折目(粟国村HPから)
 島の収穫祭で豊作をもたらす神が、なぜ祟りをもたらす悪神として説話が語られるようになったのか。畠山篤氏(弘前学院大学教授)は次のようにのべている。
 シマ人の主食の収穫祭に来訪し、豊作などの祝福を与える善神が、なぜ説話では悪神として語られ、北山を中心とした王権の関与が、なぜ説話で強調されるのであろうか。…
 祭儀をしないと悪神の祟りがあるとし、祭儀の継続を求めたのではなかろうか。主食の収穫祭・ヤガン折目が祭政一致体制をとったシマあげての祭儀だったから、この祭儀が崩壊することはそれまでの共同体が崩壊することを意味していた。祭儀による共同体の維持・支配が危機に瀕したとき、この祟り神の説話が語り出されたと推測される。…

 説話で王権の関与を強調するのも、祭儀によってシマ共同体を維持しようというねらいと連動している。…王権の威力によって島の悪神が鎮まったから、その祭儀を中止することは王権への不敬ということになる。シマの論理としては王権への不敬は許されないことであった。
 そして、王権の教えた祀り方によって神が鎮まって粟の収穫も滞りなく執行でき(だから王府からの拝葉書きをもって祭りを開始する)、王府への粟の上納も無事に済ますことができたのだ。王権の教示はシマを富ませているが、その富は王府へ還流する構造になっている。祭りの断絶はこの王権とシマの支配被支配の関係が円滑にはたらかなくなることを意味していた。ヤガン折目の由来譚は高度に政治的である。

 なぜ多くの伝承が北山(今帰仁)を選択しているのか、よくわからない。おそらく北山系統の語りが優勢なときに今帰仁拝所を建設したため、これが逆に有力な証拠となり、シマの有力者たちの座・上座の背後に北山王が控えているかのような説話がさらに強固になったのであろう(「南島説話と儀礼―粟国島のヤガン折目を例としてー」=福田晃、岩瀬博編『民話の原風景』)。
 <畠山氏は、豊作を願う収穫祭だった祭儀が、なんらかの原因で危機に瀕したことを契機に、王権の力で禍が鎮まったから、祭儀を継続しなければ不敬になることから、王府の教示どおりに祭儀を継続し、悪神の鎮魂の説話が強調されるようになったとする。祭儀の変容と由来譚の背景に王権の関与があるいう見解である。>
 畠山氏は、論文のまとめでも改めて次のようにのべている。
 ヤガン折目が粟の収穫祭を根幹とした来訪神歓待の祭儀であることは、ほとんど忘れられている。しかし、だからといってこのような無理解が悪神鎮魂儀礼説を主題とする起源説話が自然に生み出したとは思われない。儀礼や神歌はそれなりに管理され、本義はそれほど忘れられていない。ただその神観念がいささか不鮮明であった。

  『琉球国由来記』の成立した1700年頃には由来譚がなく、祭祀儀礼だけが反復されていた。しかし、この儀礼が執行できがたい状況がシマ社会に起こったと考えられる。祭政一致体制をとるシマにとって祭りの継続がその体制を維持することになる。ここに祭儀を執行しなければならない根拠を共同体の構成員に示す必要が生じることになる。こうして、儀礼と不即不離の起源説話を語り出す。祭儀の核心部は温存し、周縁部の説明で儀礼の必要性を訴えるのである。すなわち、祭りをしないと祟りが起こり、祭りを中止して悪神を鎮めてくれた王権に不敬をはたらくわけにはいかないと力説する。ここにヤガン折目の起源説話の真意があると考えられる(「南島説話と儀礼―粟国島のヤガン折目を例としてー」=福田晃、岩瀬博編『民話の原風景』)。
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