レキオ島唄アッチャー

粟国島のヤガン折目、その3「由来譚」

 安里盛昭著『粟国島の祭祀―ヤガン折目を中心に』から紹介の続きである。

ヤガンのアラバ神
 現在行われているヤガン折目(ウユミ)からは一切その恐ろしさは見えてこないし、むしろ村人たちに幸福と子孫繁栄をもたらす世の神とみてとれる神である。
 アラバ神について外間守善氏の『海を渡る神々』を参考に見てみたい。
 粟国島では「アラバ御嶽と呼ばれる聖域がある。そこの神歌であるウムイには、海神アラ神、アラバ神が出現し、アラシジ、アラバシジと称する霊力を発揮して島に豊穣と幸福をもたらしている。粟国島の神歌は、海からあがってきた神が足だまりにした海辺をアラ、アラバといい、その神をアラ神、アラバ神」という、と述べている。

 ヤガン折目の変遷には、アラバ神への畏怖の念もさることながら、官の祭りを統制する過程があるようにみえる。古琉球の五穀の祭りとあいまって6月の忌み明け(夏正月)にカシチー、ヨーカビー(妖怪火)、紫指しなどがひき続き、それで村人の恐怖心をあおり、6月折目という物忌みの最後の麦穂祭のほかに、官の統制下のもうひとつの祭りを作りあげる必要があった。久米島代官の下にあった村も番所ができ、新しい政(まつりごと)を布かなければならなかった。そこにあった官祭前の祭り、村人が純粋に血縁集団で行ってきた五穀豊穣を願い世をもたらす祭りを、官の都合の良いようにつくりかえたとすればどうであろうか。

 現在行われているヤガン折目は、荒ぶる神(注・人に害を与える乱暴な神)の恐ろしさは見えなくなり、島の繁栄と人々の健康祈願が主になっている。安里氏は、ヤガン折目にはそれよりも前に変遷があるとみる。もともと村人たちによる五穀豊穣を願い豊年もたらす祭りを、島を統治した政治の都合の良い祭りにつくりかえたと見ている。

 ヤガン折目の由来譚
 粟国島最大の神行事であるヤガン折目の由来について、『粟国村誌』と安里盛昭著『粟国島の祭祀―ヤガン折目を中心に』から紹介する。
 『琉球国由来記』には、粟国島嶽々並年中祭記之事の六月の項に次の記述がある。
 「ヤカン祭トテ粟神酒6ツ作リ、魚肴八重ノトノニ上ゲ、ノロ、根神、御タカベ、サバクリ、頭頭、朝八巻、百姓中相揃、拝四ツ仕也。御残リトテ、各呑喰ヒ申、二日遊申也、由来不ㇾ傳」(『粟国村誌』から)。
 ここでは由来は分からないとしているが、祭りそのものは『由来記』が編纂される前から続いていたと見られる。 
                       洞寺、粟国村観光協会
                       テラ(洞寺)=粟国村観光協会HPから
 由来譚第1説
 往時6月になると、テラ(注・(洞寺))やヤガン原の辺りの畑へは迂回しないと行けないくらいであった。特に思いがけぬ突風―ティンナーニシも吹いた。その頃、たまたま畑仕事に行った島人が、眼玉を抉られ、鼻を削がれ、孕んだ子を堕ろすという騒ぎがあった。在番の神里某(仲里とも言われている)は、このことを中山王府に報告した。仕様はないかと聞かれ、在番の某は思案して、粟とバーイを頂いて再び渡島した。
 粟で醸した神酒と干魚のバーイを持ってヤガン原にゆき、フーウッカ(注・帆御影屋)の座を設けて神に供えた。こうしてヒタンチヂ、アマギドゥと供えて、里近くのイザニの上にきたら居付いて皆に拝まれた(『粟国村誌』)。
<アラバ御嶽の周辺は崖に囲まれて荒涼とした洞窟が散在し魔物が隠れ住むには打ってつけの場である。そこにとってつけて恐ろしい由来譚をつくりだすのは最高の舞台装置であったと思われる。>
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