レキオ島唄アッチャー

「鳩間節」に込められた思い

 「鳩間節」に込められた思い
 鳩間島といえば、「鳩間節」が名高い。沖縄本島では、古典舞踊曲として知られる。八重山民謡の原曲は、ゆっくりしたテンポだが、本島の舞踊では、早弾きの軽快な曲である。島の景観の美しさ、稲粟の豊作の喜びを歌っている。「鳩間ユンタ」を役人が改作したのが「鳩間節」だとのことだ。
 「♪鳩間中森走り登り くばの下に走り登り」(鳩間島の中岡に走り登り くば林の下に走り登り)と歌い出す。
 最初にこの曲を知ったとき、歌詞の中でよく分からなかったのは、次のくだりだ。
 「♪稲穂積みつけ面白や 粟穂積みつけさて見事(稲の穂を満載した舟 粟の穂を満載した舟は 見事な眺めだ)」
 「♪前の渡よ見渡せば 往く舟来る舟面白や(前方の海を見ると 新開拓地を往来する舟は 面白い眺めである」
 「なぜ舟に米や粟を積み上げるのか?」と不思議だった。水田のほとんどない鳩間島の島民は、人頭税で米貢を強制され、命がけで海を渡り、西表島の未開地を開拓した。田小屋に泊まり込み、田植えをし、夏には稲粟を取り入れ、舟に積み帰ってきたという。だから、稲や粟を舟に満載して鳩間島に帰るのは、ごくありふれた光景だった。
 photo03鳩間島火番盛
鳩間島の火番盛(竹富町観光協会HPから)
でも、それだけではない、深い意味が込められた曲である。曲の背景に、西表島の住民との確執がある。
 「この民謡は島の生産の歓びを謡いつつ、その反面には(西表島の)上原と舟浦両村民の無慈悲に対する敵愾心を謡って留飲がさがったという歌である」。八重山の民俗、民謡に詳しい喜舎場永珣著『八重山民謡誌』は、こう表現している。
 喜舎場氏によると、次のようないきさつがある。
 鳩間島はサンゴ礁の島で、田畑などは皆無であるが、人頭税はやはり米貢を強制された。これは蔵元政庁からの厳命で、上原と舟浦地方の荒蕪地を開拓して稲作に従事し、以て米貢の義務を果たしていた。
 命がけで海を渡ってくる鳩間人は、2、3日も田小屋に宿泊して男女協力して田植えをおえ、また夏の猛暑を冒かしては、稲粟の取り入れに海を渡って行って舟に満載して帰る。
 舟浦、上原両村の人民は、村の近くに陸路にある田圃であるがため、サボって2、3回耕起する結果、稲作はいつも中作以下であった。
 これは、上原、舟浦の土地を鳩間人に耕作させたために、「田の神の祟りである」から、直ちに返還せよと迫ったのである。蔵元首脳部へ訴えた。
 鳩間人が適地を発見して稲作のできる時期まで待てと英断が下った。
 島ぐるみ全体協力を結集し、ジャングルを伐採した上、開拓した。これが対岸の新開地である。
 
 私が通うサークルで使う「鳩間節」の歌詞は、4番までしかない。でも、もともとの歌の歌詞には、次のような内容(和訳)が歌われているという。
 「♪舟浦人の面当てに 上原人に聞かすために 精根を打ち込んで開拓して見せよう」
 「♪上原人が鳩間に来た時は 樫実の殻で神酒を飲ましてやれ」
  「♪舟浦人がやってきたら 蛤(ハマグリ)の殻で酒を与えてやれ」
 西表島の舟浦、上原の住民への強い対抗心、住民を見返してやろうという鳩間島の住民の心情が込められている。

 西表島の上原の住民も、強制移住させられた人々で、マラリアの有病地で開拓に苦労したうえ、不作で困窮していたという(雨男通信
西表島と鳩間島の住民がお互いに、貧困のうちに重税で苦しめられていたことでは、同じ境遇である。
  そんな住民が相互に対立しあわなければならないのは、悲しいことである。そこには人頭税による圧迫がある。重税のもとでは、自分たちの税の完納ができるかどうかだけが死活問題である。他所の島、村の人たちのことを思いやる余裕など生まれえないのだろう。
 「鳩間節」にも、人頭税時代の八重山に生まれ生きた庶民の歴史が刻まれている。

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