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盗んだ神を祀った御獄とは?鳩間島

『鳩間島民俗誌』を読む

 盗んだ神を祀った御獄とは?

 隣の島から神を盗んで村の御獄(ウタキ)とした。こんな驚くような話に出会った。大城公男著『八重山 鳩間島民俗誌』を読んだときである。
 鳩間島のヒナイ御獄という拝所である。『琉球国由来記』に友利御獄とともにその名がのっている古い御獄だという。
 琉球王府時代のことだ。鳩間島の住民が、西表島の御獄から盗んだという伝承があるそうだ。なぜ、神を盗まなければならないのか、神を盗むとはどういうことだろうか。 
 ※これは、前に「ココログブログ」にアップしていたものだが、八重山離島について連続して書いているので、鳩間島についても再アップしておく。
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                    『鳩間島民俗誌』の表紙
 海向かいの(西表島)ヒナイ村は雨がよく降り、作物がよく実った。鳩間島の人々はそれをヒナイ村の人々の拝む神のお陰だと考えた。そこで鳩間島の人々は、ヒナイ村の人々に彼らの拝む神を勧請(カンジョウ)させてほしいとと頼んだ。ところがヒナイ村の人々は、一言の下にその要望を拒否した。それでも鳩間島の人々は諦め切れず、一計を案じた。神を盗みだすことを計画したのである。
 通事家と加治工(カジク)家の男たちが選ばれた。二人はヒナイ村の海岸に舟を着け、こっそりと御獄に近づいた。ところが、ヒナイ村の人々に見つかってあっさり追い返されてしまった。次に二人は夕方舟を出し、……夜陰に乗じてヒナイ村の御獄から香炉の灰を盗み出した。それから男たちは大急ぎで舟をこいで返し、島に着くと海岸近くの木の陰にその灰を置いた。そこがこの御獄の最初の拝所となった。 
                           img_鳩間島地図

 
 大城氏は、この神を盗んでたてたヒナイ御獄をつくったのは、他の島からの移住者だったと見る。
 移住者はすでに村を守護する神を祀っていたが、それは祖先神であった。信頼する神以外に、雨の神・豊穣の神を必要とするようになっていた。新村の人々は、彼らの消費する量をはるかに超える生産高を求められていた。人頭税である。この政策が彼らの上に重くのしかかり、他に救いの神を求めたのである。こうして第二の御獄、ヒナイ御獄は建てられたそうだ。
 1701年から1703年にかけて黒島から鳩間島に百姓の移住が行われた。2回に分けて、合わせて150人を超える人が移住した。移住によって鳩間島の人口はいっきに4倍か5倍になったという。
 鳩間島から、米をつくるため西表島の北岸に海を渡って通っていた。

 重い人頭税を完納するためには、豊作、豊穣は切なる願いである。「雨の神・豊穣の神」をなんとしても必要としたのだろう。神を盗むという破天荒な行為の背景にも、人頭税による先島の百姓たちへの過酷な徴税があったのだ。
 著者は、鳩間島に生まれ、教育者として県立首里高校校長を定年退職したあと、東北大大学院前期博士課程を修了。すでに島外に出た住民からも聞き取りして本書をまとめたという。労作である。とくに、村の成り立ち・変遷と御獄の由来や神役の継承など祭祀の形態と組織を詳細に記述されている。
 
 鳩間島の名前の由来
 鳩間島の名前の由来に興味がある。大城公男著『八重山 鳩間島民俗誌』から紹介する。鳩間島に鳩が多数生息していたことに由来するという。鳩は穀物を主に食べる。島で鳩が急速に増えたのは、人が住みつき畑をつくるようになってから。人頭税時代に、鳩間島から西表島の北岸一帯に出かけて稲作をした。鳩も稲を目指して海を渡っていたそうだ。王府の八重山統治が進み、役人が島にやってきたとき、鳩の多い島という印象をもったのが島名の由来と推測している。
 ただ鳩は現在、島にいない。それは島の人口が激減し、畑も田を作らなくなったからだという。大城公男著『八重山 鳩間島民俗誌』から紹介した。
 たしかに、鳩は自然の中にいる野鳥というより、人の住む周囲にたくさんいる鳥だ。人が少なくて鳩もいなくなったとは、なんか寂しい感じがある。
鳩間島の名前の由来は、確証されているわけではない。でも、鳩が多いことに由来するなら、たしかに鳩間島の古くからの固有の名前というより、島外の人がつけた名前の印象が強い。
 島に人が住む以前には、他の名前があったのではないだろうか? 先ごろ亡くなった外間守善氏は「行き果ての『果て』を語根にした『果ての島』が語源であろうと考えている」「ハテあるいはハティに『鳩』の漢字を当てるようになってから、ハトと読み、発音するようになったものであろう」との見解を示していたという(『八重山 鳩間島民俗誌』)。
 ただ、これも根拠ははっきりしない。それに、鳩間島に「果ての島」のイメージがあったのだろうか。最果ての島と言えば、波照間島や与那国島があるからだ。




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