レキオ島唄アッチャー

かふぬ島 小浜島、その4

御嶽信仰
 小浜島では、御嶽(ウタキ)は「ワン」と呼ばれる。現在村落民が信仰しているワンは9つほどある。そのなかに、とても哀しい伝説に由来するワンがあるそうだ。『小浜島 竹富町史第3巻』から紹介する。

 アールムティワン(東表御嶽)
 御用布貢納のため上国する、兄の海路平安無事を妹が祈願したところといわれている。
 二人の兄妹(ビキィル、ブナル)は過酷な上納義務を果たすため、兄は稲作、妹は御用布織に精励していた。兄は西表島のユツンに渡り、平田原を開田し、稲作をしていた。兄は刈り入れたばかりの稲束を干し、夏はにわか雨が多いので注意して野良に出かけた。
 妹は機織に夢中になり、にわか雨に気付かず干してある稲束を濡らして台無しにしてしまった。帰ってきた兄は怒って、命にも代えられない1年の働きを無にするとは何事かと、機織りをしている妹を足蹴りした。妹は罪悪感とショックのあまり家を飛び出し行方不明になった。
 その後、思いがけない不幸が次々と生じた。やがてスタンダリ(ずぶ濡れ)になった彼女の霊魂姿が、アームルティ海岸に顕れた。島の人びとは、これたただの女ではないと悟り、この地を聖地として祀るようになった。

 沖縄の夏のスコールは、一瞬のうちに降り出す。気が付いたときには洗濯物を濡らすことはよくある。この伝説で、妹が機織りに夢中になって雨に気付くのが遅れてしまったことは、沖縄の気象条件を考えれば、強く責めることは酷な面がある。でも、兄が愛すべき妹を足蹴りにしたのは、稲束を濡らせば「命にも代えられない1年の働きを無にする」、つまりは年貢の完納が果たせなくなることの重大さがある。この伝説の背景には、過酷な人頭税があるだろう。それがなければ生じなかった痛ましい出来事といえるだろう。 
         、       小浜島結願祭 小浜島の結願祭(竹富町役場HPから)

 サクッピィワン(佐久伊御嶽)
 昔、元黒島の東船道家の人であるツカー(神司)がいた。彼女は賢明過ぎて時の役人から煙たがられた。やがて島から追放される運命となった。
 彼女をホールザーマイ参りにかこつけて乗船させ、目の悪いのを幸いに、途中嘉弥真島に降ろしてしまった。島では1751年に、5戸による小集落が創設されていた。島の南東海岸辺りに自ら御嶽を創設してそのツカーになった。
 後に5戸の人々は、島に水はなく天水に頼り生活に困り果て、小浜島に戻ることになった。目の不自由な司を連れ沿って船崎寄りのナイマンツ(地名)に渡り休憩した。山道、野道を通って集落入りし、カイマメーカーで休憩した。多分ここで腰を据えて先触れ幸いを祈願したのであろう。このような経過で小浜島で生涯を送ることになるが、やがて仲山の聖地に神として祀られるようになる。
 その理由は、死に臨んで「黒島の人には塩水を飲ませ、小浜島の人々には真水を与え給え」と遺言したからである。皮肉に事実黒島の地下水は湧き出ることなく全域塩水だらけであった。小浜島は地下水に恵まれ島内いたるところに井泉が湧き出ている。
 ナカヤマワン(仲山御嶽)の神は水の神と伝承されている。因縁のあることから、姉妹神として祀られるようになったのであろう。
 
 この伝説は、賢明過ぎるために役人から煙たがられ、黒島から追放された女性の悲劇である。ツカーが恨むべきは本来、黒島の役人であり、黒島の住民ではないはずである。視力に障害のある女性が役人から島を追われ、黒島を恨むというこの歌の背景にも、やはり人頭税のもと、役人の身勝手な振る舞いがまかり通った王府時代の島の現実があるのではないだろうか。 
 黒島は確かに島の地下を海水が流れており、井戸を掘っても海水混じりだと聞く。一方、小浜島は水に恵まれている。多分、ツカーの女性の遺言でそのようになったのではなく、昔からの黒島と小浜島の自然条件の違いを前提にして生み出された伝承なのかもしれない。
 終わり
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