レキオ島唄アッチャー

かふぬ島 小浜島、その3

明和の大津波
 小浜島も明和の大津波(1771年、明和8年)に襲われた。しかし、幸いにも被害は比較的少なかったという。『小浜島 竹富町史第3巻』から紹介する。
 大津波による被害状況が『大波之時各村之形行書』に詳しく記録されている。
 小浜島は住民は男388人、女512人の合計900人いたが、大津波が石垣島と同時に揚がり、男2人、女7人、合計9人が公務で石垣島に出かけていて溺死した。しかし村にいた男女891人は無事だったという。その内より男148人、女172人の合計320人を宮良村(石垣島)へ寄百姓(強制移住)した。男238人、女333人、合計571人残った。
 記録をみる限り、小浜島の状況はほかの島と比べて極めて軽傷だったという。

  大津波の死亡行方不明者は八重山全域で9313人、群島人口32・22%に達した。小浜島はなぜ大きな被害から免れたのだろうか。
 牧野清『八重山の明和大津波』でつぎのようにのべている。
 <小浜島は竹富や黒島、新城など隆起珊瑚礁の島とは違って、島の中央部に99・4メートルの大岳があり、島全体が高いので周辺の低地がいくらか洗われた程度であったらしく、作物被害畑が9町余、作物被害殿が11町余あったのみで、人の被害については蔵元へ公事のため出張していた9人の死亡者があっただけである>。

 地形的に津波の被害を受けにくかったと見られる。この面でも「果報の島」といえるのかもしれない。
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