レキオ島唄アッチャー

沖縄戦の戦跡を訪ねて、嘉数高台

基地と戦跡が見える嘉数高台
宜野湾市にある嘉数(かかず)高台。そこは米軍普天間基地がよく見える場所として知られている。政治家も県外の観光客もよくこの高台を訪れる。
 外相、防衛相、沖縄担当相などが交代するたびに、この高台を訪れる。でもそのニュースを見るたびに、なにか割り切れない思いがする。
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 というのは、普天間基地がいかに世界でももっと危険な基地であるかを、宜野湾市長はじめ関係者が説明する。でも、この間の普天間問題の経過が示すように、まったく普天間基地は動かない。ただひたすら、基地は県内移転することに終始している。大臣たちは、基地の実情は聞いても、ただ辺野古移転の政府方針を「県民に根気よく説明し、理解を求める」というだけだ。まるで県民の切迫した思い、声に耳を傾けようとしない。
 いったい何のために基地を視察しているのか! ワジワジする。
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 この嘉数高台は、沖縄戦の激戦の地として知られる戦跡である。1945年4月1日、読谷方面に上陸した米軍が南下して、最初に激しい戦闘が闘われたのが、この高台である。日本軍が高台を陣地としていたからだ。いまも砲台を据えていたトーチカ跡が残る。
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 この高台でどれほどたくさんの日本兵、住民の血が流されたことだろう。日本軍はとくに京都の部隊が多かったので、「京都の塔」が建つ。朝鮮半島の出身者の犠牲を追悼する碑も建っている。
 嘉数高台の悲劇は、民謡にも歌われた。その「嘉数高台」の歌碑も建っている。なお「沖縄戦・激戦の地を歩く」を「ココログブログ」にアップしてある。沖縄戦と嘉数高台を含む戦跡のことを紹介しているので、関心のある方は見てほしい。
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 だから、嘉数高台を見た閣僚をはじめ政治家は、普天間基地だけでなく、この戦跡をしっかりと見てほしい。普天間基地の一刻も早い閉鎖と撤去、そして再び愚かな戦争を繰り返さない誓いを新たにしてほいい。そこにこそ、この高台の意味がある。
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