レキオ島唄アッチャー

パナリ焼とザンの島・新城島,その6

「世果報節」(ユガフブシ、上地島)

 新城島を発祥の地とする「世果報節」もよく知られている。
 『竹富町史第5巻 新城島』では、次のように解説している。
 新城島をたたえ、農作物の豊かな実りを予祝した、めでたい内容の歌詞である。豊年を迎え、上納も無事に済み、家々では残った五穀をシラ(稲叢のこと)にして蓄え、お酒を造って、老若うち揃ってうたい踊る様子がうたわれている。慶田城用舛が新城村の与人時代に作詞作曲したと伝えられている。 
 音階は八重山では珍しい律音階(※)で、三線の調弦は三下調である。曲名はうたいだしの囃子詞から、《サーサー節》とも呼ばれている。
結願祭にはこれに振り付けた舞踊が奉納される。
※律音階とは、主に雅楽や声明=しょうみょう=などで用いられる五音音階。洋楽階名のレ・ミ・ソ・ラ・シの5つの音からなる。
                 
                             世果報節
歌詞は次の通り。
1、サーサー (サーサー<囃子詞>) 以下ハヤシは略
むかしからとぅゆむ ぱなりでるしまや たかにくばくさでぃ スリ
 うやきめなし ウネ シタリガヨー ンゾ シトゥデントンテン
2、とぅしどぅしぬ むじくいや みぬり でぃきぃでむぬ すんじゃなしみむぬ うはちあぎら
3、やぐとぅくらぐらに ちんあますくくや さきみしゆちくり ゆわいあしば
4、しらぎゆきかめる とぅしゆりやあまた かみざしにいむり くくるうりしゃ
5、さんぬかじしらん ぱがむぬぬまぎり うたとぅさみしん たちゃいむちゃ

歌意は次の通り。
1、昔から評判の 新城島は 高根久(※)を腰当に(背にして) 裕福を前にしている
  ※高根久(タカニク)は人工的に石を積み上げて造った物見台のこと。
2、年毎の農作物は 稔り豊かである 首里加那志(国王)への貢物は 御初の米をあげましょう
3、各戸の倉々には 積み余った穀物は 酒や神酒を造り 祝して遊ぼう
4、白髪雪をいただいておられる 年寄は数多く 上座に仰いで 心嬉しいものである
5、数えきれないほどの 若者が集い 歌と三線に 踊ったり跳ねたり

 題名の通り、豊かな自分の島を褒め、豊穣の世を祝う内容である。豊作の時は、家ごと倉ごとに穀物を積み余し、お酒を造って祝ったことがうかがわれる。お年寄りを上座にかざって大事に扱い、若者たちは歌三線を奏して舞い踊り楽しんだ様子がつづられている。
  ところで、八重山古典の調弦法は本調子・二揚・一揚調・三下げ(一二揚)の4通りある。八重山は本調子と二揚曲がとっても多いなかで、この曲は唯一、珍しく三下げの曲である。なぜこの曲が三下げになったのだろうか。
この曲は、沖縄本島で「サーサー節」として歌われている。ただし、琉球古典音楽の「サアサア節」と民謡の「サーサー節」がある。古典の「サアサア節」は、新城島の「世果報節」のように、最初の歌いだしに「サアサア」と入らない。途中と終わりに「サアサア」と入る。囃子の使い方が異なる。なにより、旋律が「世果報節」とは似ていない。
民謡の「サーサー節」は、私も今を練習しているところだ。歌詞は「月の夜やさやか 寝ても寝てられない 友達を連れて 遊ぼう みんな近寄って来いよ 友達よ」というように月の夜に遊ぶ歌。まったく異なる内容だ。でも「世果報節」と同じく最初の歌いだしに「サーサー」と入る。曲の旋律が「世果報節」とほとんど一緒である。

  「世果報節」は村褒めの豊年予祝の歌だから、明るく、祝いの雰囲気で演奏する。だが、「サーサー節」は、しっとり情感豊かに歌えば聞き惚れる曲だ。同じ歌をベースにしていても、歌詞を変えて、少し編曲し演奏の仕方、歌い方を変えただけで、これほど違う印象になるのかと不思議な感じがする。それは「くいぬぱな節」でも同じである。
  「世果報節」が新城島で生まれた曲であることは確かだが、上原直彦氏は、ラジオの民謡番組で「サーサー節」を流した際に、奄美にも「大島サーサー節」という曲があると話していた。
『南島歌謡大成(奄美編)』『日本民謡大観(奄美諸島編)』をめくってみたが、その曲名は見当たらない。ネットで検索すると「ラジオ喜界島」の「喜界島の島唄」のなかに、喜界島志戸樋(シトオケ)集落の「サーサー(座踊り歌)」があった。録音を聞くことができる。とても軽快な曲だ。ただ、歌詞と解説はまだ記載がないので、聞いただけでは歌の内容までつかめない。囃子として、「サーサー」や「シトゥテンヨウテン」が使われている。この囃子は「世果報節」で使われている「サーサー」「シトゥデントンテン」と似ている。曲調、旋律は、あまり似ているわけではない。「サーサー」という囃子だけならどこにでもありそうだ。でも、「シトゥデントンテン」もいっしょに使われているとなると、はたして偶然なのか、それともなんらか影響があったのか。真相はいまのところ不明である。






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コメント

八重山民謡の中で、三下げの曲は、私が知っている限りは「世果報節」と「スビヌオーザ」の二曲だけです。「世果報節」は、沖縄本島民謡の「サーサー節」、「スビヌオーザ」は「海のチンボーラー」とそっくりです。沖縄本島民謡には三下げの曲がたくさんあるのに、八重山にはこの2曲しかないのが、とても不思議です。また、琉球古典にも喜界島の民謡にも「サーサー節」があるのですね!初めて知りました。人気がある曲は、伝播しやすいのかもしれませんね。だとしたら、八重山の「とぅばらーま」が他の地域に伝播しなかったのは不思議ですが、流石に「この曲だけは、アレンジしてはいけない!」という畏怖の思いから暗黙の了解で伝わらなかったかもしれませんね(笑)。昔の良識ある人々に感謝の思いです。

2015-07-31 Fri 16:35 | URL | sono [ 編集 ]
sonoさん、コメントありがとうございました。
三下げの曲が他にもあったとは知りませんでした。スビヌオーザという曲は、安伴さんの工工四には入ってないので、聞いたこともありません。「海のチンボーラー」とそくりですか。私のもっている八重山民謡と本島との類似曲一覧表にもないようです。一度聞いてみたいですね。
 トゥパラーマは確かにあまりに素晴らしい曲なので、替え歌や編曲になじまず、そのまま本島でも歌うようになったのかもしれませんね。
2015-07-31 Fri 20:12 | URL | レキオアキアキ [ 編集 ]

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