レキオ島唄アッチャー

ジョン万次郎は粟国島に上陸?、その4

 『球陽』には合致する記録が見当たらない
  これまでのべた特徴をふまえながら、万次郎がフランクリン号で航行し、上陸した「マンビコシン」はどこなのかを考えたい。
万次郎が上陸したのは1847年であるが、『球陽』の異国船の渡来でこの年に記述があるのは粟国島である。だが、この時に記録では、上陸した人数やもらった牛、羊の数が違い過ぎる。この時は強引なやり方もとっているので、万次郎上陸の話とは合致しない。
 この年には、他に沖縄本島近くの離島への異国船の上陸の記載はない。だから、万次郎が上陸した年は、これに合致する『球陽』の記録は残されていないことになる。
  また粟国島の伝説に見合った事例は『球陽』に記載が見当たらない。なぜ、島の役人が対応し、伝説が残されているのに、史書に記載がないのか不明である。
 
 『球陽』に記載がないといっても、万次郎が上陸した事実は確かである。
  年代は別にして、万次郎たちが上陸した際の人数やボートの数、もらった牛の数など手がかりとなる事項を、『球陽』の異国船の上陸の記述と比べてみた。しかし、どうも一致するケースが見当たらない。唯一、上陸人数が6人と一致する久米島上陸は、1846年で1年前になる。もらった牛が1頭で合わない。
 『球陽』のなかに、万次郎が上陸した「マンビコシン」と一致する記述がないとすれば、『球陽』の記載以外にもまだ異国船の上陸の事例があることになる。その点では、年代は不明であるが、上陸した時の情報が近似しいている事例が粟国島の伝説である。
                    ホイットフィールド船長万次郎と
     洋装の万次郎(ホイットフィールド船長との再会の写真と見られる)
 船長とともに上陸した万次郎は、服装などが異国風なので外国人と見られるだろう。ボートは1隻で一致する。上陸した人数は、粟国島伝説では3人、フランクリン号からは6人であり、多少の違いはある。粟国島はあくまで伝説であり、異国人の人数は、正確ではないかもしれない。少人数という点では共通点もある。
  もらった牛が2頭であることも一致する。伝説を読む限り、言葉が通じなかったが、あまり強引なやり方で牛を奪ったということにはなっていない。
  年代について、島の伝説を聴取した1981年の時点で100年以上前のことだとしている。万次郎が上陸したのは1847年だとすれば135年前となり、年代的には許容の範囲といえるだろう。
  数百年昔の伝説と違い、135年くらい前だと、伝説はそうとう史実に近いと思われる。万次郎が上陸した「マンビコシン」という地名の離島はない。  以上のべたことから、粟国島の「ウランダー来訪」の伝説は、万次郎が最初に上陸した琉球の島として、粟国島もその候補の一つではないか。これが私の勝手な推測である。
終わり

追記
 この後、沖縄電力元会長で万次郎を研究している當眞嗣吉さんが『土佐史談』の中浜万次郎特集号に発表した論考で、万次郎が最初に上陸したという「マンビコミレ」(當眞氏は、マンビコシンは間違いだとされる)とは伊平屋島であることを論証した。また久米島にも上陸したとしている。これまで謎とされてきた問題を解明する説得力のある論考である。私のブログの内容はもう意味をなさないものであるが、粟国島にも面白い伝承があることを紹介する意味でそのままにしておきたい。
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