レキオ島唄アッチャー

ジョン万次郎は粟国島に上陸?その3

 異国船が相次ぎ本島周辺の離島に上陸
  ジョン万次郎が最初に上陸した島がどこだったのか、いまだ不明だが、琉球の離島に異国船がやってきて、上陸して食糧などもらっていくということは、島民にとっては一大事件である。だから万次郎側の記録だけでなく、琉球側でもなんらかの形で記録や伝承が残っているはずである。なにも史実を伝えるものがないということはおかしいことである。
 19世紀は、フランス、イギリス、アメリカなど外国船が琉球にしばしばやってきた。王府の史書『球陽』を見ると、沖縄本島の近海の久米島や渡名喜島、粟国島、伊平屋島などに上陸した記録は、私が予想した以上に多い。八重山諸島にもたびたび来ているが、ここでは省略する。
 1842年4月3日、久米島に異国船1隻が来て、15名が杉板(はしけ、ボート)2隻で浜に着き、野飼の牛1頭、羊2頭を奪っていった。
同年4月17日、久米島に異国大船2隻が渡来し、13名がボート2隻で来て、牛1頭、羊1頭を与えた。その後も22名がボート3隻で渡来し、牛1頭、サツマイモなど与えた。他の浜にも来て、牛1頭、羊1頭、サツマイモなど与えた。 
 同年5月、渡名喜島に阿蘭陀船(異国船)1隻が渡来し、27名がボート4隻でやってきた。牛1頭、羊3頭、サツマイモ50斤を与えた。
                粟国村観光協会

             粟国島(粟国村観光協会HPから)
 同年9月に久米島に渡来した異国船は28名が4隻のボートでやってきた。牛3頭を与えたが、少ないと村内に侵入したので豚6頭、羊1頭、サツマイモ、野菜など与えた。まだ民家に侵入するので、牛1頭を加えて与え、やっと去っていった。
 1844年2月、久米島に異国船が渡来。22名がボート2隻で着き、牛4頭を与えたがなお足りないと村内に侵入し、飼っている豚2頭、羊5頭、野菜を奪った。なお足りない牛1頭を求めるのでやむを得ず与えた。
 1846年には久米島に3回もやって来た。3月17日、17名がボート3隻で来て牛4頭を与えた。4月5日、6名がボート1隻で上陸し、牛3頭を与えた。4月8日、18名がボート3隻で上陸し牛2頭を与えた。
 1847年4月、粟国島に西洋船が到来し、23名がボート3隻で上陸し、牛3頭、羊2頭、小麦2包を与えても、足りないと村に侵入。さらに牛3頭、羊4頭、小麦4包、煙草など与えた。 
 以上は尚育王の時代である。次の尚泰王の時代も、渡来は続く。
 1848年3月10日、異国船が来て19名がボート3隻で上陸し、牛2頭を与えた。
同年3月25日、伊平屋島に異国船が渡来し、28名がボート4隻で上陸した。牛2頭、羊3頭、猪2頭、鶏23羽、麦56束、野菜を与えた。遠目鏡1個、剃刀1個を謝礼した。
 同年4月、久米島に異国船から7名がボート1隻で来た。飼羊草料を請求するので与えた。
このように、頻繁に異国船が離島にやってきた。ただし、同じ期間に座間味島や渡嘉敷島にはなぜか渡来した記録が見当たらない。

 『球陽』に記載された異国船の上陸の記事を読むと、次のような特徴がある。
 上陸人数は、15~28人という大人数の例が大半であること。ボートの数も2-4隻という複数で来ている例が多い。
 上陸は食糧の補給が目的なのか、牛や羊、豚などの提供を要求し、島人にとってはとても貴重な家畜を複数でもらい受けていること。記録で羊とあるのは、実際は山羊のことではないだろうか。沖縄で羊はあまり飼育していなくて、山羊が多いからだ。
 提供を受けてもなお、足りないといって、村内に侵入して、民家まで物色して、牛、羊などを追加させたり、島人の同意なしに奪うなど、そうとう強引な方法で持ち去った例がある。
 沖縄本島に近い慶良間諸島ではなく、本島周辺の少し離れた久米島、粟国島、渡名喜島、伊平屋島などへの渡来が多い。外国船の航路の都合と関係があるのだろうか。
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