レキオ島唄アッチャー

ジョン万次郎は粟国島に上陸?、その2

 次に、ジョン万次郎が琉球列島の島に最初に上陸した経過と上陸したときの模様を紹介する。
  万次郎はアメリカの捕鯨船フランクリン号の船員となり、1847年インド洋を航行し、グアム島に寄港した。停泊中にホイットフィールド船長宛に手紙を書いた。これから琉球に行くことを告げ、「日本の琉球列島に向います。そして無事上陸できたらと望んでいます。捕鯨船が補給を受けられるよう、港を開くようにさせたいと思っています」と記してある。

 マンビコシンに上陸し牛2頭もらう
 「小笠原諸島のピール島を離れたフランクリン号は、真西に向って琉球諸島の中の一つの小島、マンビコシンの沖に達します。ボートをおろしてデビス船長は、万次郎たち6人を連れて上陸しました。役人らしい人がやって来て、砂浜にムシロを敷いて腰をおろし、船から来た人々と談話を試みるのですが、話がちっとも通じません。船長から求められるのですが、万次郎にも通訳のしようもないのです。
                 ジョン万次郎 中浜万次郎

 そのうちに、もう少し上級の役人らしい人が、農民に牡牛2頭をひかせてやって来ました。牛を進上するという手真似です。船長は船から持って来た木綿4反を返礼として贈りました。それ以上島にいたら迷惑になるようなようすなので、2頭の牛を船に積んでまもなく出帆。航路を東に引き返す」(中浜明著『中浜万次郎の生涯』)。

 万次郎が上陸したマンビコシンは沖縄のどこだったのかいまだ確定されていない。さまざまな説があり、渡嘉敷島だったと書いた著書(長田亮一著『ジョン万次郎物語』)もある。
 粟国島の伝説で、「人喰い島の唐船」と言っているのは、外国人を恐れる表現である。実際は「アメリカ―だったんじゃないか」と述べているようにアメリカ人がいたと思われる。「ウランダー」というのは、沖縄では西洋人を総称する表現であり、アメリカ人でも「オランダ人=ウランダー」と呼んだからである。
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