レキオ島唄アッチャー

「ジョン万次郎物語」、小渡浜に上陸

 小渡浜に着く
 1850年5月、万次郎は日本への帰国を決意した。資金づくりのためゴールドラッシュにわくカリフォルニアで金山に入り、雇われて働いたその後独立して採金を始め、70日間で600ドルの大金を稼いだ。帰国に必要な捕鯨用ボートを買い求め、アドベンチャー号と名付け、準備を整え、漂流仲間にも呼びかけ、3人で帰ることになった。
 万次郎たちを乗せたサラ・ボイド号は琉球に接近した。船長は、3人の身を案じて「米国へ帰ろう」と話したが、「母を思えば、ここから引き返せません。私はもとより死を覚悟の上であります」と答えた。 
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           万次郎らが上陸した小渡浜
 3人はボートに乗り本船を離れた。1851年旧暦の正月3日であった。冷たい強風が吹き荒れる。懸命にボートを漕いで数時間後にやっと岸に近づいた。ボートで一夜を明かした。浜辺のヒシ(干瀬)に出ていた人々は見慣れないイフーナスガイ(異風な服装)に驚いて次々姿を隠し、一人だけ残っていたが、言葉が通じない。近くに人家があるに違いないと、万次郎ら2人が島に上って、4,5人に出会った。若者が日本語で「ここは摩文仁間切(マブニマギリ、いまの町村)である」と答えた。漂流のいきさつを語ると「日本人とわかれば大事にいたしましょう」と慰め、北の方に船着場があると教えた。
 船着き場にボートを留め、小渡村の海岸に上陸した。土佐の港から出漁してから10年の歳月が過ぎていた。コーヒーを入れる準備をしている間に、村人たちが蒸し立ての暖かい芋や砂糖きびをバーキグヮー(ざる)に盛って差し入れてくれた。
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                     万次郎の上陸後の歩み(和田達雄さん作成)

 米須番所で取り調べ
砂浜に大勢の人が集まっている。「これから番所まで案内します」と男が案内し、宿道を通り、米須の村中に入った。番所に着くと、昼食が与えられた。2人の役人から取り調べを受けた。取り調べた役人は、首里王府から摩文仁間切へ派遣されていた、下知役(ゲチヤク)は喜久里里主親雲上(キクザトサトゥヌシペーチン)、検者(ケンジャ)は新嘉喜里主親雲上(アラカキサトゥヌシペーチン)であった。3人がハワイから持ち込んだ品物も取り調べた。砂金や銀のほか、航海術書をはじめ数学、辞書、歴史、ジョージワシントン伝記など13冊の英文書と地図7枚、時計など日用品、航海に必要なオクタント(八分儀)やコンパス石板、ピストル、鉄砲など道具類があり、役人たちは見たことのない品物ばかりだった。
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