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伊江島の祭祀「大折目」、その1

伊江島の祭祀「大折目」

 『伊江村史』を読んでいると、「第4篇歳時記」の項に「大折目(ウプウィミ)」という祭祀が詳細に記載されていた。伊江島ではとても重要な祭祀であるという。でも、沖縄の祭りと言えば豊年祭、節祭、海神祭、種子取祭などは有名であるが「大折目」という名称は寡聞にして聞いたことがなかった。あまり祭らしくない名称なので、いまいちイメージがわかない。『伊江村史』とほかの資料を併せて読んでみて、ようやく祭りの様子が分かりかけてきた。島の人や沖縄の祭祀に詳しい人にとっては、「なんだ、今頃」ということだろうが、私のような素人で、祭祀にも興味がある人のために、簡略であるが、分かる範囲で紹介しておきたい。

 折目とは何か
 まずは、伊江島の「大折目」の前に「折目(ウイミ)」とは何かを見ておきたい。
 「生産と結びついた季節の折目で、豊年祭や予祝行事など、季節的祭事の日。すべて旧暦によって日が定められている。ウイミ、シチビ(節日)、キジャリ(刻み)などという。またこの日は生産を休むので、アシビ(遊び)とも称した」
 『沖縄コンパクト事典』では、このように解説している。
 「年中行事のなかで、生産休養日の“遊び”をともなう収穫祭や予祝行事の日。沖縄ではウイミまたは節目(シチビ)、奄美ではオンメ、宮古・八重山ではキジャリと呼ぶ。なお生産年の交替を祝う大折目を沖縄県本部半島地域ではウフユミという」
 『沖縄大百科事典』も、同様の解説がされている。
 要するに、季節の節目に豊年祭や予祝行事を行う祭事の日のこと、仕事を休んで楽しむので「遊び(アシビ)」とも称した。季節の節目なので「折目」と称されたという。  
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          冨里における儀式(伊江村教育委員会発行『目で見る大折目』から)


 折目の祭祀には、歴史的な経過、背景があるようだ。
「季節ごとに行われる祭りのこと。昔の沖縄は貧しくて、必要なカロリーを十分取っておらず、一般の人々の健康を向上させるために、沖縄の政治家達が、季節季節の折りに触れてお祭りを盛んにするように達しを出した。日頃食べられない肉や豆腐、魚など山や海の珍味のご馳走を祖先や神様に供え、そのお下がりを家族や親類で食べて栄養をみたすように仕向けた。その行事を折目(うゆみ)と言うようになった」(「日刊okimag」HP「沖縄の民話」から)
 
 沖縄の政治家とは誰か。『伊江村史』では、首里王府で1666年に摂政となり、数々の改革を行った羽地朝秀の名を上げている。
 「大政治家羽地王子朝秀が出て世の立て直しをした。彼は従来薩摩が許さなかった開墾を請うて許されたので大いに開墾奨励をして生産をあげた。また百姓の労苦を思い折目(ヲリメ)を設けて御馳走することを許した。折目行事はこれから始まるという。(『伊江村史』)
 折目を設けて祭りを盛んにして、百姓たちがご馳走を神や祖先に供え、家族、親類でも食べるようにしたという。折目は、伊江島特有のものではない。ただ、伊江島では「大折目」の名称で続けられ、それも伊江島ならではの特色ある祭祀となっていることが注目される。
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