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伊江島の歴史から、重かった貢租

 重かった伊江島の貢租
  『伊江村史』から伊江島の歴史の紹介の続きである。
  北山滅亡後、今帰仁城が北部守護の要衝の地であることにかんがみ、武将を監視役として駐留させることにした。最初に其の役に任ぜられたのが護佐丸であったという。
 伊江島の場合貢租など王府に直接納めていた関係からか北山監守との交渉など記録に見えてこない。監守の行政権は今帰仁間切(マギリ、いまの町村)に止まっていたと思われる。
 今帰仁間切は何かと今帰仁御殿に庇護されているように思われる。貢租の如き伊江島と比較すると大分軽いようである。砂糖の如き伊江島と比較すると11万斤と7万斤という開きがあり、雑石にしても370石に対し180石を納めている。土地も人口も伊江島の2倍もちながら貢租では逆に伊江島が2倍出している。
  (注・伊江島は今帰仁間切より土地と人口が少なかったのに、貢租は逆に重かったという)

  伊江島が按司(アジ)を戴いたのは1554年だから、島には始めから按司も按司掟も住んでいない。何人が行政を執行したのか文献では明らかでない。口碑によると佐辺家の当主が執ったのではないかと推測される節がある。佐辺家は佐辺根所の根人としてまた宗家として、他の11根所の誰よりも勢力があったと伝へられている。北山時代から島の豪族として勢威を振っていた。佐辺の主が首里上りをする時は足袋をはくことも許されたというから士族に準ずる処遇をうけている。  
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 伊江島の年貢
 伊江島は米が産せず粟麦豆などで納めたものだが、それでも出米と云うてきた。
沖縄で租の始まりは13世紀英祖王の時からと伝えられる。
 伊江島は英祖王に入貢して臣礼をとっていないから遅れて14世紀初めの北山時代から租を納めたことになる。それが随時に徴発されたのか、定期的なものであったのか、租高などについて何もわかっていない。
 結局14世紀から15世紀後半までの150年間にわたる年貢については何も知る所がない。
 15世紀末に出た第二尚氏の尚真王時代になって始めて税制が整備されたものと考へてよいかと思う。16世紀半ばには伊江按司の総地頭がおかれたことからして16世紀中に税制は完備したことゝ思われる。
 慶長検地直後伊江島の租は正雑石(注・正租、雑穀、石高の略称)370石とみえている。いかなる算定基準があったかというにそれは明らかでない。推察するに当時の推定人口350人から考えて一人一石宛の上納を申し付けたのではないかと思う。大まかな見込み高に過ぎず根拠のあるものではない。久米島2間切より稍々多く伊平屋二島(伊平屋島、伊是名島)の約3倍どうにも腑におちない。             
 伊江島の公認された石高は3777石である。これだけの耕作を幾人でやったかを人口でみていく。
 1500年代は330人が全島の人口である。1600年薩摩入りの頃の人口は400人、1700年頃は590人、そして1750年が700人になる。
  稼働力のある者は6割と推定される。今700人の稼働者400余人で享保高の3700石を生産するには1人9石になる3斗俵にして30俵である。  
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            伊江島の北部の海岸
 正租の370石は慶長以前から据置の儘で明治36年まで変わっていない。
 慶長以後1736年迄の間に新税が本高の附加税として課せられている。年代順に記すと1635年牛馬出米(イジメ)が始まっている牛馬1匹に付1升9合余り課している。農家が野原に放牧してある牛馬に課せられるものである。1750年現在島の牛馬数は630匹で国頭郡で最も多い。
  1682年荒欠地出米が始まる。百姓が土地を放棄して不毛にするとか、水害風害で荒地ができて正租の減少を来しているからそれを補てんするための附加税である。
  1699年の浮得(ウキトク)出米とは上木高の内、芭蕉唐芋、宝ぬ敷を高に直して課した附加税である。高1石に対し3勺8寸を課している。
  1713年賦米(ブマイ)とは薩藩に納める附加税である。高1石に対し1升5合を徴収した。
  1729年新盛増出米が始まる。享保盛増分(134石)に対する附加税である。運賃に合算して高1石に付4合7勺を徴収するものである。
  1736年在番出米が始まる。琉球国内の諸浦在番14人の扶持米である。
 以上の出米を総称して六出米と称した。
  牛馬、浮得、在番出米の3税は王府に納めていたものだから明治12年の廃藩と同時に廃税になる。
賦米、荒欠米、新盛増出米の3税は薩藩に納めていたものでそのまま国庫に納めることになった。また琉球廃藩後明治36年の国税徴収法が施行されるまで重出米の名目で徴収されていた。
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