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沖縄戦の戦跡を訪ねて、陸軍病院山城本部壕

沖縄陸軍病院山城本部壕

 「魂魄の塔」のすぐ近くに、沖縄陸軍病院山城本部壕がある。こちらの壕にはまだ行ったことがなかった。「魂魄の塔」を訪れた際、初めて山城本部壕に行ってみた。
 陸軍病院は、南風原にあったが米軍が進攻してきたため、糸満市山城に移り、こちらの壕が本部壕となった。1945年6月14日、米軍の直撃弾を受けて病院長、衛生兵、ひめゆり学徒らが死亡した。病院本部の機能は壊滅状態となり、翌日、伊原第一外科壕や伊原第三外科壕などに分散し移ったが、そこも激しい攻撃にさらされた。多くのひめゆり学徒らは、砲弾に倒れ、痛ましい自決に追い込まれた。
                     沖縄陸軍病院の塔

 壕の入り口を降りていくと、おりしも遺骨や遺品を掘っている人がいた。ボランティアで50年余、遺骨や遺品の収集をしている那覇市の国吉勇さんだった。詳しく説明をしてくれ、壕に入るのになんの準備もしていなかったので、懐中電灯も貸してくれた。
 茶碗やお皿など陶磁器の破片もたくさん並べてあった。壕は、入り口は大きいが、奥行きはそれほどない。奥には水がたまっているので、意外に狭い空間だ。でもたくさん医者やひめゆり学徒、傷病兵らがいたという。
 つい最近も、この壕で不発弾が見つかったばかりだ。危ないから閉鎖されているかも、と心配したが閉鎖はされていない。修学旅行生らもよく訪れている壕である。
                       陸軍病院山城本部壕

 国吉さんは、車の中にこれまで集めた遺骨や遺品、兵器類や活動の様子を誰にもすぐ分かるように大きな写真のファイルを作っている。それを見せてくれて、説明してくれた。
 砲弾の破片の実物があった。「持って見て」というので、手にしたら、とてつもなく重い。こんな砲弾が降りそそいだのだ。「鉄の暴風」といわれるのを、ささやかながら実感した。
壕の入り口の塔がある場所は広場になっていて、歌碑もあった。長田紀春詠、宮里宏書で2005年に建てられたという。
 戦後66年たっても、沖縄は、まだおびただしい遺骨が地中に眠っている。不発弾も毎日のように見つかる。大和の高校生が座間味島で不発弾を拾って飛行機に乗って持ち帰ろうとして騒ぎになった。
 戦跡を歩いたり、遺骨収集、不発弾の発見などニュースを見るたびに、沖縄ではまだ戦争が終わっていないことを痛感する。
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