レキオ島唄アッチャー

オキナワンロックの歩み。米軍とともにやってきたアメリカ音楽

戦後沖縄のジャズとロック
 『オキナワンロック50周年記念誌』の喜屋武幸雄著「沖縄ロックの証言と軌跡」を読んでいると、戦後沖縄のジャズとロックの関係についてふれた記述があった。興味深いので、ついでに紹介する。

 Aサインでロックが生まれる以前、50年代、60年代はジャズメン達が我が世の春を謳歌していた。先輩格のジャズの演奏家達は蝶ネクタイでタキシード、スーツにエナメルの靴等で格好良く決め、アメリカの古き良き時代のオ-ルディーズや映画音楽、ムード音楽、スタンダードジャズやら私達の知らない音楽を基地の高級クラブで演奏していた。…
 ジャズより遅れて生れたロックは、既成概念をブッ壊す怒れる若者たちの音楽として生まれた。ベトナム戦争の最前線で生死を賭け、生きるか死ぬかで必死に闘っているのは下層階級の若い一般兵士であった。…
 ヒッピースタイルで破れたGパン姿のロッカー達は不良と云われ、スーツにネクタイを締めているジャズメンは紳士で私達はバカにされ、上から目線で相手にされなかった。…
                    
  一世を風靡した沖縄ジャズ界は世界の音楽の時流が読めず低迷して基地の中やクラブから消えて行って、ロックや他の音楽に取って変わられた。…
 フォークはロックと違い長い歴史があり、ロックとくっつけばフォークロックとなりジャンル分けが出来ない程の幅の広いのがフォークである。…ロック以上に激しく強烈な印象を与えたのがフォークだと思う。…しかし、フォークは沖縄では根付かなかったのか、反戦だ平和だと云っていた若者たちがキバを抜かれてしまい、良い社会人に変身しているようだ。もう一度、沖縄フォーク村をドカーンと復活させて欲しいネ!
 
――ここでは、戦後の沖縄音楽界でジャズ、ロック、フォークの特徴とロックの側がジャズやフォークをどのように見ていたのかがわかり興味深い。喜屋武さんの文章を読むまでは、ジャズとロックは両者とも、戦後沖縄にアメリカから持ち込まれ、多くのミュージシャンが生れて基地内や米兵を主な相手として演奏をしてきたので、素人目には共通項が多いのかと思っていた。でも、これほど相違があるとは意外だった。ただ、これはあくまでロック側の見方である。ジャズをやっている側からは当然、異論があるだろうが、ここでは、喜屋武氏の記述だけを紹介した。――

 米軍とともにやってきたアメリカ音楽
  戦後沖縄で米軍とともにやってきたアメリカ音楽について、「沖縄市・市勢要覧」の「音楽のある風景」が簡略に記述しているので、あわせてこちらも紹介しておく。
 1951年の日米講和条約によって沖縄は米軍統治となり、朝鮮戦争によって沖縄の米軍基地はますます強化されていきます。この時代、アメリカはジャズの全盛時代で、米軍基地内ではジャズバンドの重要が高まり、たくさんのジャズバンドが生まれました。ウチナーンチュのジャズメンはもちろん、日本本土からもパスポートと楽器をもって多くのジャズメンがやってきました。アメリカ本国からも、ルイ・アームストロング、レイ・チャールズなど錚々たるミュージシャンが来沖し、沖縄のジャズメンと共演しています。当時の沖縄のジャズバンドは国際的な水準だったといわれています。 
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 2015年「フォークの日」のライブ。右端の良明さんは、元マリーwithメデューサのメンバー

  日本のロック界に衝撃を与えたオキナワンロック
  ベトナム戦争時代の60年から70年代にかけてはロックが主流になり、米軍基地内にもロックバンドが誕生します。前線基地となった沖縄は、特にコザの街はベトナム景気にわき、ベトナム帰還兵が集まるBC通り(現パークアベニュー)やゲート通り(現空港通り)のAサインバーでは、ドル紙幣がドラム缶に詰め込んでいたといいます。オキンワンロックはこのような状況の中で誕生します。沖縄のロッカーは、ベトナム戦争で気の荒れた若いアメリカ兵に鍛えられ、その中から「紫」「コンディショングリーン」「キャナビス」「メデューサ」などの優れたバンドが誕生し、日本のロック界に衝撃を与えます。
  ベトナム戦争が長期化する60年(代)の後半から70年代にかけては、反戦ソングなど、いわゆるフォークソングが台頭してきます。71年には「沖縄フォーク村」が結成され、村長の佐渡山豊さんが全国区のフォークシンガーとして活躍します。
 
  これまで、戦後沖縄のアメリカ音楽などをめぐる歩みを見てきた。改めて驚くのは、50年代から60年代、70年代に活躍したミュージシャンたちが、過去の人ではなく、現在も活動していることだ。「レジェンド」とも呼ばれている。
 オキナワンロックの勝っちゃん、ジョージ紫、宮永英一やフォークシンガーの佐渡山豊など、いずれも第一線で歌い続けている。1957年にデビューし米軍基地内で歌っていたジャズの与世山澄子さんは、ジャズボーカルのトップシンガーとしていまも活動している。
  オキナワンロックもジャズもフォークも、沖縄の豊かな音楽文化の一翼を担い続けている。

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