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沖縄戦の戦跡を訪ねて、魂魄の塔

 沖縄戦の戦跡を訪ねて
 
先の大戦で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄は、いたるところに戦跡がある。まだ歩いたのはごく一部だ。すでに「ココログ・ブログ」でもアップしていた。ブログを引っ越したので、まだ書いていなかった戦跡を含めて、「沖縄戦の戦跡を訪ねて」として、アップしたい。

 最初の慰霊の塔「魂魄の塔」
6月23日は、沖縄戦の組織的な戦闘が終わった日で「慰霊の日」とされている。当日は、糸満市の平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。23日は、交通渋滞になるので、前日の22日、糸満市の戦跡を訪ねた。
 戦後、散乱していた遺骨を収拾して祀った最初の慰霊の塔といわれる「魂魄の塔」に行き、哀悼の意をささげた。もう家族連れでたくさんの人たちが訪れていた。
                      魂魄の塔

 線香といっても沖縄の平香と着火ライターは持参していたので、お花売りのおばあさんから1束300円の花を買い手向けた。この時期、風が強いのでマッチでは火がつかない。平香は火が付きにくい。みんな新聞紙などに火をつけてから平香につける。もう何年も来ているので、要領がわかってきた。来ている人は家族連れ。料理や果物、餅、お酒などお供えしている。もう順番待ちの状態だった。23日は、朝からこの塔にはたくさんの人が来るだろう。
 糸満市の米須、山城などこの辺りは、文字通りの激戦の地であり、道路や畑の中、周辺のいたるところに遺骨が散乱していたそうだ。
 戦後、私の住む地域である真和志(マワシ)地区の住民が、この地に収容移住を許された。村民と地域住民の協力によって遺骨を集めて祀ったのが魂魄の塔である。3万5千余柱という沖縄で一番多く祀った無名の戦死者の塔だった。その後、1979年に摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨は分散して安置したとのことである。
 当時、遺骨の収集と納骨堂をつくることに尽力した真和志の金城和信村長の銅像が建てられている。
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