レキオ島唄アッチャー

オキナワンロックの歩み。生きる武器だったロック

 生きるための武器だったロック
 クラシックを学んでいた比嘉常次はジョージ紫と改名。瞑目で思索的職人気質で音楽を追究し、数々の名曲を生んだ「紫」は日本一のバンドなった。
 「紫」解散後、ジョージは「マリーナ」、「コザ」、「オキナワ」と多くのバンドを結成。ギター・ユタカ、ベース・ウイリー、ドラム・エツーでジョージ紫プロジェクト(GМP)を結成した。
 フィリピン人を父に持つ双子の兄弟として生まれた城間兄弟は、「ピーナッツ」から始まり「紫」解散後、「アイランド」を結成。「stay with me」の大ヒットで一世を風靡した。
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 <特筆すべきは、(オキナワンロック)第一世代の半分以上がハーフ、混血児達である。戦後基地が作られ、米兵が大量に沖縄に駐留するのと彼等の誕生が符合する…
 沖縄ロック界の中心を成し、屋台骨を支えて、オキナワンロックを創って来たのも彼等ハーフ達である。Aサインは差別されない為の駆け込み寺的場所でもあり、安心して音楽に打ち込め、沖縄ロックを創造していく聖地でもあった。…
 第一世代の生きる強さは、社会からの圧力や蔑視をハネ返す強さであり”ロックは生きるための武器”であった(「沖縄ロックの証言と軌跡」、喜屋武幸雄著)

 戦場の状況が伝わるライブバー
 不屈の男・川満勝弘は多くのミュージシャンを入れ替え首を切っているが、ついに自分も「コンディショングリーン」から追放された。音楽をやりたいメンバーは勝ちゃんの激しいパフォーマンスを受け入れられず、天願賢成率いる「サジテリアス」に加入。やがて「ジグザグ」を経て、第2期「コンディショングリーン」の黄金時代を築いてゆく。
 「ウィスパーズ、「クリスタルチェイン」の後のオユキはボーカルに女性のマリーを迎えたことにより、ギターリストのケンセイ以後、有名プレイヤーを集まるのではなく、若いメンバーを育てていく。
 ギターは浩ちゃんから、故ター坊、カーズ、マサル、良明に入れ替わり、ベースはオユキから信正、ドラムはトモ、後の沖縄ロック界を背負っていくメンバーを育て、沖縄ロックの父と呼ばれていった。
 マリーは熱狂的な米兵の前で歌うことで急成長していく。
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 <沖縄ロックミュージシャン達の音楽は、ベトナム戦争に向かう兵士たちの魂を救うが為に用意されていたのだ。
 海兵隊の駐留する金武町。Aサインバーが至る所に軒を構え米軍が落す金で繁盛をもたらす街、私達バンドもコザの街から金武のAサインバー一角で箱バンドとして毎晩演奏することになった。明日はベトナムに駆り出される兵士、ベトナムから本国に帰還する兵士、その場所はベトナム戦争の状況がリアルに伝わってくる。平均19歳の兵士達、狂気のどん底で正気を保つ。酒とドラッグと音楽、金武町のAサインバーはまるで戦場にいるかのようである。ベトナムで狂った兵士らは簡単に基地内からこの町へ武器を持ち込めたのか、発煙筒が投げ込まれ、暴動が毎晩のように繰り返された。命がけのライブ活動、黒人兵士と白人兵の人種差別争い、私達ミュージシャンは彼らに立ち向かうため音楽機材が、そしてシャウトする声が武器になる。音楽は平和の象徴であるが時には人の感情を揺さぶる(「喜屋武マリー人物歴史」)>
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