レキオ島唄アッチャー

オキナワンロック50周年。その歩みから

 出版文化賞を受賞した『オキナワンロック50周年記念誌』

 『オキナワンロック50周年記念誌』(沖縄県ロック協会編)が2014年出版された。やっと手に取ることができた。戦後、米軍の占領下で、嘉手納空軍基地の門前町のようだったコザ(現沖縄市)をはじめ、海兵隊の基地がある金武町、辺野古などで、米兵を相手にロックが盛んに演奏され、沖縄独自のロックが発展していったことは、耳にしていた。といってもコザでロックのライブを聞いたこともない。
 オキナワンロックは、沖縄の多彩な音楽・文化の中で、一つの重要なジャンルをなしている。それはまた、戦後の沖縄社会の一断面を形成している。今日、沖縄から若いミュージシャンが次々にメジャーデビューし、活躍しているが、その土台にはオキナワンロックがあったと言ってもよいだろう。
  『50周年記念誌』は、オキナワンロックを担った人々のリアルな証言を含めて、その歩みがよくわかるように編集されている。沖縄タイムス出版文化賞特別賞を受賞したという。その中からごくごくエキスだけを抽出して紹介する。 
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 以下は、本書の中の「写真で見るオキナワンロックの歴史」の中の文章と、その間に関係者の証言を挟んだものである。写真も勝手ながら『オキナワンロック50周年記念誌』から使わせていただいた。
 
 オキナワンロックのルーツはAサイン(米軍の許可を受けた店舗)街で喜屋武幸雄(オユキ)と川満勝弘(勝ちゃん)の2人の出会いによって生まれた。
 1963年東京で結成されたオキナワンロックの創始者ウィスパーズ(その後沖縄に帰り、バンドの普及活動に力を入れ、刺激を受けて続々バンドが生れた)はコンディショングリーン、マリーウィズメデューサー他、多くのバンドを生み伝説となった。 
  ベトナム戦争激化と共にAサインは全盛となり、多くのバンドを輩出。沖縄ロック界の戦国時代となる。

<オキナワンロック発祥の地と言われている「コザ」には「チャンプルー文化」なる便利な言葉がある。これは「コザ」で暮らす人の中にある道徳の生活のリズム感や行動原理が、「コザ」がまちとして成り立つ歴史的な過程の中では育まれ、一つの文化として根付いたものであると定義付けられているようだ。つまり「コザ」は文化の坩堝であり、様々な外部からの新しい情報をどん欲に取り入れ、それをさらに自分たちのスタイルに再構築し確立する能力を有しているという事だ。
 ここは嘉手納米軍空軍基地の門前町として栄えた歴史を持つ「コザ」に代表させてもらいたい(「コザとロックとオレ」、吉田春樹著)>
 
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 Aサインにバンドが集まる 
名ギター、名プレイヤー達を中心に、「紫」、「コンディショングリーン」、「キャナビーズ」…等、多くのバンドが結成・解散を繰り返しメンバーチェンジが入り乱れ、次第に音楽性・主義を主張する同士が集まって収斂していく。
 全島からAサインにバンドが集まり激しい生存競争の中、離合集散を繰り返す。
 人気・実力を二分する「紫」と「コンディショングリーン」は、コザ・金武・辺野古のAサインに、より高い契約金で引き抜かれ沖縄中を駆け巡った。

<(米兵は)ロックの事は俺達以上に知っている。いい加減な歌や演奏にはすぐ反応し、ビールや灰皿などとにかくテーブルの上に有る物は何でも投げつけてくる。こいつらを納得させる為、必死で新曲を覚え毎日4,5回のステージを乗り切り、昼には4時間ライブが終わった後は家で新曲のコピー。…そういう修羅場で20年近く色々なグループで修業して来た。…
  ベトナム戦争の事を今思い返せば、当時の状況下で本当に大変な境地に追い込まれていた者は我々では無く彼らではなかっただろうか。
  青春時代の一番大事な時に故郷を離れ、最愛の家族や友人そして恋人とも無理矢理引き裂かれて戦争の大義名分も国のついた嘘だと解った時の彼らの救いは俺達の友情と音楽であった(「マイロックヒストリー」、宮永英一著)>
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