レキオ島唄アッチャー

久高島、唐船時代

  比嘉康雄著『神々の原郷-久高島』(上、下)から、紹介の続きである。
  
唐船時代
  久高島の男たちは少なくとも15世紀頃からはクルンミーを操って大洋を航海する術を我がものとしていた。このような航海技術はやがて首里王府に認められ、当時中国と進貢貿易をしていた首里王府の進貢船の水主(カコ)として登用され、久高島の男たちが活躍することになる。
  この唐船時代は久高島の黄金時代というべき時代で、今もその栄華の跡を豪壮な石垣囲いにとどめる。
                    唐船
                  再現された唐船(読谷村ゆんた市場)

  <「旧藩時代には男子16歳にして必ず支那(中国)通いの唐船の船員になる掟があって、みなその任務につき、唐船船頭さんの出生地であった」(この項、桜井満編『久高島の祭りと伝承』の安泉松雄ノート「イザイホーの御祭」)>
  文献によると、久高島の男たちは唐船の乗り組員の他に
1、薩摩への飛船の船員、飛船とは公務の連絡。
2、宮古、八重山からの年貢の運搬。
3、伊良部島と鳥島間を豆・米などの食糧の運搬に従事。
この場合の船はクルンミーであった。
 進貢船の正式な乗組員で活躍する以外にトゥアッチャー(中国通いほどの意)という言葉があることから、首里王府とは関係のない私貿易も盛んにおこなわれていたことが推察できる。
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