レキオ島唄アッチャー

遠海に漁に出た久高島の海人

 遠海に漁に出た久高島の海人
 久高島のイラブ―漁については簡略に紹介した。島の男たちは、舟を巧みに操り、遠海に出かけて漁業を営んできた。久高の海人の歴史について、比嘉康雄著『神々の原郷-久高島』(上、下)から紹介する。
 
 イラブ―漁時代
  島ヌルといわれる久高ノロが村頭を使って伝統的にイラブ―漁を続けていた。イラブ―とはエラブ海蛇のことで、久高島南側岩間に産卵による。それを獲って燻製にする。
  燻製のことを「バイカン」といい、燻製する小舎を「バイカンヤー」という。久高ノロの管掌する久高御殿庭という祭場の一隅にハンアシャギと並列してある。
  燻製されたイラブ―は保存食として考えた場合、手間がかかりすぎる、食糧として効率が悪い。薬用として考えられていたと思われる。加工商品であった。このような立派な商品を島内で生産できるのは特定の人たち(現在では久高ノロ、外間ノロ、外間根人)に限られていた。
  そこで他の久高の男たちは当時すでにどこかで作られていたマーキブニ(くり船)を手に入れ、イラブーを求めてフカ(外洋)への旅立ちが初(始)まったと考えられる。
  
  マーキブニは、3名乗りの小さなものであった。この小さな船を3艘ないし4艘つなぎ合わせ、アダンの葉で作った帆を立てたもの、このような船をクルンミーとか、ナラリグゥといっていた。
  <現在久高島の伝承されている船は、マーキブニが最も古い。1本の丸太をくりぬいて作ったいわゆる丸木船、くり船である。「ナラリグゥ」、これはマキブニを何艘か結びつけたものを指す>
                     徳之島
                      徳之島
 イラブ―のおもな漁場は奄美群島であったらしく、旧暦3月に吹く南風イチュンベー(絹のように静かな南風の意)で出発北上し、漁場に着くと日常生活は日頃久高島のイノー(リーフ内)でおこなっていたバンタタキャーという追込み漁法で魚をとり、現地で物々交換をしてすごした。イラブ―は獲ると現地でバイカン(燻製)にした。旧暦9月頃に吹くシムクダリとかタカワタシニシという北風に乗って帰って来た。すでに燻製にしたイラブ―は、おそらく当初から販売のルートがあって、そこへ持って行ったと思われる。
  当初の販売先であるが、15、6世紀頃までには首里王府の城下町遊郭に持って行ったものと思われる。久高島の男たちがイラブ―を求めて外洋に出発したのがノロ制度施行前後と推定すれば、今から4、500年前となる。しかしこの出稼ぎ的なイラブ―漁の伝承は、今から約130年前からしかない。それ以前についてはこれまで記したとおり推定の域を出ないのである。
  戦後はこの出稼ぎ的なイラブ―漁はなくなったが、久高における久高ノロの管掌する伝統的なイラブ―漁は、現在まで連綿と続けられている。
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