レキオ島唄アッチャー

ジョン万次郎上陸の地を歩く、その3

 火炎放射器で焼かれた岩崖
 小渡浜の東側の岩崖の下部が少し窪んでガマのようになっている。「あそこは岩が黒くなっているでしょう。あれは米軍の火炎放射器で焼かれた跡だよ」と和田さんが説明する。見ると、本当に岩が黒く焼けただれたようになっている。 
                 IMG_8236,gama

 沖縄戦で米軍の進攻を受け、首里から撤退した第32軍は摩文仁に司令部を置いた。摩文仁に近いこの大渡海岸は、追い詰められた住民らが逃げ惑った場所でもある。ちょっとしたガマにも避難し、海岸沿いの湧水もすくって喉を潤しただろう。
 このあたりは、摩文仁には平和の礎があり、米須にはひめゆりの塔がある。沖縄戦の悲劇がどこにも刻まれている地である。
                   IMG_8232.jpg
                  奇岩をカメラで撮る和田さん
 上陸の地に記念碑を
 大渡海岸を訪れる人は、年々増えているようだが、万次郎の上陸地の足跡を示すものはない。「万次郎ビーチ」と呼ばれても、その意味を伝えるものもない。
 ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会は「万次郎上陸の歴史的価値を後世に伝え」、万次郎が鎖国日本の開国に貢献し、「琉球の夜明けはもとより日本の夜明けが、ここ大渡浜から始まったことを明らかにする」(同趣意書)ために、記念碑建立が必要だと主張している。
 まだ建立は具体化されていないが、その前に当面「ジョン万次郎上陸之地」の看板を5,6月にも設置したいと準備を進めているそうだ。
スポンサーサイト

沖縄の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<ジョン万次郎上陸の地を歩く、その4 | ホーム | ジョン万次郎上陸の地を歩く、その2>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |