レキオ島唄アッチャー

「三線の日」、辺野古でも三線が響きわたる

3月4日は、語呂合わせで「三線の日」。県内各地でいろんな取り組みが行われた。
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 「三線の日」は今年23回目を迎える。RBCの長寿番組「民謡で今日拝らびな」のパーソナリティー、上原直彦氏の提唱で始まった。読谷村の鳳ホールで昼の12時から夜の9時まで、三線の日のイベントがあり、1時間ごとに時報に合わせて、県内各地、県外、海外でも、おめでたい時に欠かせない「かぎやで風節」を一斉に演奏した。ラジオを通じて内外の三線愛好者が結ばれる他には例をみない素晴らしい催しである。 
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 イベントの開催前には、読谷村にある「歌三線の始まり」といわれる赤犬子(アカインコ)を祀った「赤犬子宮」に、イベントの司会をする上原直彦、島袋千恵美、狩俣倫太郎らが礼拝した。 
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 例年のように、県内各地でも三線愛好者が集って、演奏した。今年は、名護市の辺野古への米軍新基地建設に反対する人たちも、時報に合わせて三線を演奏した。「かぎやで風節」に合せて、琉舞も踊られた。テレビニュースでも話題になり取り上げられていた。 
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 沖縄では、基地反対運動の場でも、歌三線は欠かせない。運動を励まし、人々の心を一つに結ぶうえでも、三線がよく演奏されている。芸能文化は県民の暮らしの日常の中に深く根を下ろしているからだ。
 悲惨な沖縄戦と米軍基地による命と暮らしの圧迫の中で、平和を願う民謡がたくさんつくられ、歌われてきた。反戦島唄の傑作「艦砲ぬ喰えぬくさー」なども、辺野古でよく歌われている。「三線の日」の会場でも、亡き父が作ったこの曲を「でいご娘」が歌っただろう(その時間ラジオを聞けなかった)。
 私は、三線の日の会場にも、辺野古にも行けないが、自宅でラジオの時報に合わせて「かぎやで風節」を演奏した。同じ時間に一斉に演奏することで、みなさんと心が通い合う思いがした。
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  写真は、RBC、QABのニュース画面からお借りした。
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