レキオ島唄アッチャー

島分けの八重山哀歌、「真栄節」

  「真栄節(マザカイフシ)」
  竹富島からコメ作りのために西表島の仲間村に移り住み、引き離された恋人をしのぶ曲に「真栄節」がある。
 歌詞は次の通り。
♪生りや竹富(タキドゥン)育つぃや 仲間ぬまざがい ウヤキヤゥヌユバナヲレ
   以下ハヤシ略
♪なゆぬ故 如何ぬつぃにやんどぅ 仲間越いだ
♪大浦田ぬ みなぐつぃぬゆやんどぅ 
♪餅米ぬ 白米ぬゆやんどぅ
♪竹富ぬ 仲嵩ぬ上なか
♪白雲ぬ ぬり雲ぬ立ちゆらば
♪白雲で ぬり雲で思むよんな
♪かなしやーまで みやらびで思むようり
♪古見嵩ぬ 八重嵩ぬ真上なか
♪若月ぬ 三日月ぬありようらば
♪若月ぬ 三日月で思ようんな 
♪竹富ん まざがいで思ようり 
                  
            竹富島の種子取祭奉納の真栄節
 歌意は次の通り
♪産まれは竹富、育ちは西表仲間村の マザカイ(男名)は
♪何ゆえに、いかなる理由で 仲間村に移り住んだのか
♪大浦田の、ミナグチゥの田んぼで 稲作するために
♪もち米を、白米を 作るために移り住んだ
♪竹富の、仲嵩の 上空に
♪白雲が、積雲が 立ち上ったら
♪白雲だと、積雲だと 思わないでね
♪カナシャーマだと、愛しい人だと 思ってちょうだいね
♪古見岳の、八重岳の 真上に
♪若月が、三日月が 上ったら
♪若月だと、三日月だと 思わないでよ
♪竹富島から来た、マザカイだと思ってくれよ
 
  竹富島に生まれたマザカイは、「優良な田んぼがあり、そこで稲作をするために」西表島に移住したと答える。自ら志願して西表島に渡ったとされる。

 喜舎場永珣氏によると、マザカイは「真栄」とも「真佐久(マサグ)」とも童名で呼ばれていた。20歳で分家したが、本家より与えられたのは珊瑚礁畑であり、「かかる石塊畑の収穫では人頭税重税なりし折、己の義務を果たすことの不可能な事を覚り、早くも米作に目をつけたのか、西表島の仲間村に移住したのである」、しかし、自由移住が認められたわけではなく、仲間村にもあった竹富島役人の俸禄田である「ウイカ田」の監督者という名義で許可されたとのことである(『八重山民謡誌』)。
  
  王府時代には、貢納は米や粟をもって納付しなければならない。田んぼがなく米の穫れない竹富島や黒島などの住民にも米納を義務付けた時代があったという。
マザカイも人頭税を納めるため、移住せざるをえなかったのだ。
 離別を余儀なくされたマザカイと竹富島に残されたカナシャーマが互いに、「竹富島の上に月が上がったらマザカイだと思ってくれよ」と言い交す。これは「川良山節」と似た表現である。
 「島分け」の哀歌は、まだほかにもあるのかもしれない。とりあえず手元にある資料から紹介した。
                      終わり
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