レキオ島唄アッチャー

島分けを歌った八重山哀歌、「川良山節」

 「川良山節(カーラヤマブシ)」
 この曲は、移住にともなう山道工事の苦難を歌った曲である。
 石垣島の名蔵村はマラリアのため人口が増えず、87人まで減ったため、1737年、石垣村、登野城村から513人を移住させ、600人の独立村となった。1771年明和の大津波で50人死亡し、1857年再び黒島村から200人を補充した。
  川良山を境とする南部の四カ村地域と北部の名蔵平原、名蔵村を結ぶ道がなく、山を迂回する不便を解消するために道路を開通させたという(石垣市史HP「八重山写真帖」から)。
 川良山の山道工事に住民が動員された。島分けも山道工事も、とても辛いことだったのだろう。唄はこう歌う。
♪川良山ぬ上なか 白雲ぬ立ちゅらば サーンゾサイカヌサイヨーホー
♪白雲で思ゆな ぬり雲で思ゆな(以下ハヤシ省略) 
♪とぅばらーまで思よーり かなしゃまで思よーり
♪川良山ぬーねぬらば 山道ぬーねぬらば
♪肝ぬだみ思いから 山道んかぬさどぅあるい
♪川良山や 手拭長(サジゥナギ) 山道ぬ布長
♪何しきーぬ 川良山 如何しきーぬ 山道
♪切り倒しぬ 川良山 薙(ナ)い倒しぬ 山道
   

歌意は次の通り。 
♪川良山の上に白雲が立ったなら
♪白雲と思ってくれるな 積雲と思ってくれるな
♪恋しい人と思って下さい 愛しい彼女と思って下さい
♪川良山の道がなければ 山道がなければよいのに
♪好きな人を心から思って通うならば 山道も愛おしく感じられる
♪どんな方法で川良山を切り開いたのか 如何にして山道を切り開いたのか
♪樹木を切り倒して道を造ったのだ 草木をなぎ倒して山道を開いたのだ
                 
 白雲が立ったなら愛しあう二人と思って下さい、というのは胸をつく切ない歌詞である。ラジオの民謡長寿番組のDJであり、唄の作詞者でもある上原直彦氏は,次のように解説している。
 「愛しあう仲さえひき離す中央の権力が介在していた。強制労働の中でも、愛を語ることのできる平和な世がほしかったのであろう。軽快なテンポで歌われるにしては、なんとも哀調をおびているのは、八重山の民の血の叫びがあるからだ」。 
  名蔵村は、黒島からの移住で補充したが、その後もマラリアのため人口は次第に減少の一途をたどり、明治34年(1901)には106人に減り、大正5年(1916)遂に廃村になってしまったという。
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