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伊江島のヤマト系歌謡

 伊江島にあるヤマト系歌謡

  いま伊江島の民謡として知られている「マシュンク節」を練習しているところだ。そんなこともあって、新城晃編著『伊江島のヤマト系歌謡』を読んでみた。
  伊江島には、ヤマト系歌謡がいくつも残されているという。17世紀から薩摩藩の支配下にあった琉球王国は、大和文化の影響を受けたので、沖縄芸能の中に、大和的な歌や舞踊があることは確かだ。そんな一般的な事情とは別に、伊江島は、島の特有の歴史と背景のもとに、大和系の歌謡があることは、興味深い。なぜ、沖縄の離島である伊江島に大和文化がそんなに影響をもたらしたのだろうか。同書をもとにして紹介する。

  伊江島の民俗芸能は、以下の3つに分類される。
1、伊江島で誕生した歌、踊り
2、沖縄本島の影響を受けた歌、踊り
3、大和の影響を受けた歌、踊り
                   1伊江島の村踊
                  伊江島の村踊(伊江村HP)から
 伊江御殿の創立
  伊江島に「大和の影響を受けた歌、踊り」が残されている事情は、島を領地とした伊江御殿(ウドゥン)の創立と300年余にわたる支配が関わっている。
  『伊江村史』によれば、「1559年(嘉靖38)、初めて伊江島に按司総地頭が配置された。伊江御殿の系譜には単に嘉靖年間年不伝と記してある。
  最初の伊江按司には、尚清王の第七子尚宗賢が任命された。名乗りは伊江朝義と云い、伊江王子と称した。伊江御殿創立の祖である。年23才の若者であった。彼は1538年(嘉靖17年)うまれで16才で結婚(かたかしら)を結うと、1553年羽地間切総地頭に任命され、のちに伊江島に転封されている。そして羽地には十子(末弟)の尚悦が任命されている。
 この交代の理由はよくわからない。爾来廃藩まで320年間、伊江御殿と伊江島の支配関係は続いている」
  つまり、第二尚氏の4代目である尚清王の第7子、尚宗賢が伊江島を支配する按司(アジ)総地頭に任命された。伊江朝義を名乗った。それ以降、次のように継承された。
 朝義―朝恒―朝久―朝敷―朝嘉―朝良―朝倚―朝藩―朝郁―朝英
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