レキオ島唄アッチャー

政策的に作られた村褒めの歌

  村褒めの曲は士族・役人が作った

  村褒めの歌は、百姓の上に立つ士族、役人によって作られた節歌である。
  「(節歌など)今日の八重山民謡はほとんどこれら士族の作詞作曲によるものである。ユンタ・ジラバ・アヨウなどの古謡は、いわゆる労働歌で、楽器の伴奏を要せず、これは平民の歌う歌であった」(牧野清著『新八重山歴史』)。
  節歌は、庶民の生活と労働の中から生まれたユンタ、ジラバなど古謡を素材としながらも、三線の伴奏で演奏し歌うように改作し、仕上げられた曲が多い。
  「八重山の土地誉めの歌の多くは、庶民の労働意欲をあおるために役人が政策的に作ったものといわれています」(三線教室「クイチャーパラダイス」HP)。
 
  このような指摘は、それなりに的を射ているように思う。
  なぜなのか。私的に考えてみたい。その理由をあげる。
  まず、村褒めは、庶民の心から湧き出る内発的な要求とは思えないこと。移住で創建された多くの村は、マラリア禍や天災、大津波などで人口の減少で移住が繰り返され、結局は廃村になった。決して永続的に繁栄してはいないこと。
歌の内容を見ても、厳しい村の現実の姿、庶民の実情は捨象され、あまりリアリティが感じられない。いかにも、百姓の上に立つ士族層の視線で作られた印象が強い。
  村を褒め称えることで、苦しいことがあっても、「自分たちの住んでいる村は、果報の村だから、しっかり働けば報われる。頑張れよ」と百姓たちを農作業に励ませて、年貢を完納させるという役割を持っているのではないか。歌にはそんな要素が織り込まれている。 
                
  村褒めの歌は、さらに豊年をもたらしたのは、お役人さまのお蔭だという「役人褒め」にもつながっている。
その典型は「鶴亀節」だろう。「川平鶴亀節」ともいう。次の歌意となっている。
「♪川平村に 豊穣の世を賜った 平和で豊かな世を賜り 恵み豊かな世を賜った 現在の与人(ユンチュ)役人のお蔭で 川平村の目差(メサシ)役人のご尽力により ゆたかな世を賜り 豊穣の世を賜り…」 
  「揚与那覇節」は次のような歌意である。
「♪与那覇主のお陰で 主の前(御役人様)のご恩義で 昔の世をいただき 神の世をいただき 主の前を仰ぎ 百果報を手摺る(祈願する)」
  「昔の世、神の世」はいずれも、豊穣の世の意味である。お役人のお蔭であると褒めあげている。
「種子取節」「白保節」などは、豊作をいただき、主の前(御役人様)、目差主(役職名)を招待して、お祝いをしようと歌う。
  
  村褒め曲は、現代で言えば、学校の校歌や企業の社歌などが同じジャンルに属するのではないか。学校、企業の伝統や自慢、特性や優位性を歌に盛り込み、みんなが自信と誇りを持ち、勇躍して勉学、仕事に励ませる役割を持っている。
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