レキオ島唄アッチャー

ムンジュル笠の生産地、瀬底島

 沖縄民謡の「スーキカンナ(惣慶漢那)節」を歌っていると、「♪わんね、本部の瀬底(シ-ク)どやいびしが ムンジュル笠ぐゎ買んそーれ」と出て来る。「わたしは本部の瀬底島の者だが、ムンジュル笠を買って下さい」という歌意である。歌は、このあと、別の商売人が「そのムンジュル笠は張りが悪いから、私のクバ笠を買って下さい」と売り込むという内容だ。
 ムンジュル笠は、竹で作った骨組みに麦わらを並べて編んだ笠。クバ笠とは、乾燥させたクバの葉で編んだ笠である。農作業などに使われたが、ムンジュル笠は、現在では琉球舞踊の小道具として使われている。
  民謡や舞踊には、よくムンジュル笠が登場する。 「惣慶漢那節」で、ムンジュル笠の産地として、本部町の瀬底島が歌われているけれど、実際にどうなのか知らないままだった。 
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 「琉球新報」2月2日付を読んでいると「島人の技」のコーナーで、いまもムンジュル笠を作っている本部町の大城善雄さん(86)が紹介されていた。
 
 町の調査によると、約130年前に善雄さんの祖父・善太郎さんが出稼ぎ先の旧羽地村仲尾次(現名護市)で学び、島に持ち帰ったことが始まりという。ムンジュル笠は、戦前戦後、畑作業時に暑さをしのぐ大事な日常道具だった。しかし、時代の流れの中で廉価な帽子が普及し、ムンジュル笠の需要も減り、作り手が少なくなった。
 最大の生産地だった本部町瀬底島でも、作り手は3人ほどだ。その一人が善雄さん。自宅そばの畑で麦を栽培し、年間30~40個の笠を作る。
 ムンジュル笠に花をたくさんつけたムンジュル花傘は、琉球舞踊に欠かせない。舞踊の小道具店からも注文を受けるそうだ。
                  

 粟国島を舞台にした曲に「むんじゅる節」がある。ムンジュル笠は、瀬底島と粟国島が産地として知られていたようだ。
 「♪むんじゅる平笠美(チュ)らものや 美童(ミヤラビ)ま頂(チヂ)にちい居して 花染手巾(ハナズミティサジ)や前(メー)に結(ムシディ)で 二才惚(ニーセーフ)らしむぬ」
 (むんじゅる平笠のきれいなことよ 娘の頭にちょこんとのせて 花染手巾は帯の前に結び 若者たちをひきつけ惚れさせようか)

  「♪照喜名坂(テルキナフィラ)からヨウをなよ むんじゅる平笠かぶるなよ 津波古(チーファヌク)の主(シュ)の前(メー)が な打(ウ)ち惚(フ)りゆんどー」
  (「番所のある照喜名の坂を通る時は娘さんよ むんじゅる平笠をかぶるなよ 役人の津波古さまがさらに惚れるぞ 気をつけなさいよ)
  粟国島の照喜名という所は、島の娘さんに恐れられた代官詰所があった。津波古というのは役人の名前である。「むんじゅる平笠をかぶるなよ。役人の津波古に惚れられるよ、気をつけろ」と注意を喚起している歌詞だ。
 
 『むんじゅるぶ節歌碑建立記念誌』には、「むんじゅる節の本歌照喜名(てぃるちな)節が発祥した年代は、明治11年(1878年)頃から、同15年(1882年)頃と推定される」、「むんじゅる節は、照喜名節が発祥してから、およそ13年から15年位後にむんじゅる節として舞踊化されたものと思慮される」とあるそうだ。
 役人・津波古某は沖縄本島の佐敷町馬天(現南城市)から、粟国番所に派遣され、勤務していたのではないか、たいへんな色男だったとか、津波古某も忠告を受けた娘さんも、実在の人物だそうです(「美ら島物語、恋し島唄の風」HPから)。
  役人が職権を背景にして、村の美しい娘に目をつけ自分の意のままにするとか、賄女(現地妻)にしたことは、わがブログでの「愛と哀しみの島唄」で詳しく書いた。興味のある方はそちらを見て頂きたい。



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