レキオ島唄アッチャー

役人の不正異聞、沖永良部島

役人の不正異聞、沖永良部島

 与那国島と八重山の琉球王府時代の役人のことを書いた。折しも、皆吉平著『沖永良部島・島唄風土記』を読んでいると、薩摩藩の直轄支配下にあった奄美諸島の沖永良部島でも、役人の不正が横行していたことが記されていた。
 奄美諸島は、薩摩藩の琉球侵攻前までは、琉球王国の統治下にあった。なかでも、沖永良部島は、沖縄本島にとても近くい。民俗や文化も沖縄と共通するところがある。
 奄美諸島は、薩摩の支配下で、サトウキビの栽培と黒糖の生産を押し付けられ、次第に砂糖生産のモノカルチャー化が進められ、さながら「サトウキビ植民地」とされた。年貢米もすべて砂糖で代納させた。さらに、砂糖の売買を禁止し、年貢に差し出した残りの黒糖もすべてお上に差し出させる「黒糖惣買入制」(砂糖専売制)の政策がとられるようになった。  
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写真は、黒糖づくりの作業風景(2枚とも「花と食フェスティバル2014」文章と無関係)

 藩士の役得「抜き糖」

 薩摩藩が黒糖によるあらゆる搾取を強める一方で、役人の不正が横行した。『沖永良部島・島唄風土記』から紹介する。
 <『郷土史資料』の「沖永良部史稿本」は「是等派遣の藩士は土地の遠隔なると人民の無知なるに乗じ、苛斂誅求以て私腹を肥やすに汲々たるものあり」と記している。
 藩庁の貢糖にさえ堪えかねた島民より、更に私腹を肥やすための搾取の抜き糖はこれを役得とした>
薩摩は奄美諸島を統治するため、各島々に行政を司る奉行(後に代官)や附役を2~3年任期で派遣した。少人数の藩役人だけで広い島に目を行き届かせるのは限界があることから、与人(ヨヒト)、横目(ヨコメ)、掟(オキテ)、筆子(ヒッコ)などの島役人を登用し配置して、補佐させる統治機構を整えていた(原井一郎著『苦い砂糖』)

 島民に耐え難い黒糖生産と上納を押しつけながら、納めた黒糖から役人は私腹を肥やすために「抜き糖」をしたという。「抜き糖」の実際は書かれていないので不明だが、納めた黒糖から勝手に役人が抜き取り、横領したのだろう。
 「奄美の民衆が、藩のみならず島役(島役人)からも私的に搾取された」と、森紘道著「道之島の島焼く役に関する研究の現状と課題」でも指摘している。
 島民は、自分たちが作った黒糖でありながら、すべて上納させられ、勝手に私物を持つことは許されず、厳しい取り締まりが行われた。『沖永良部島・島唄風土記』からの紹介を続ける。

 <藩庁の砂糖の取締も厳重であった。蜜糖調べの代官所の役人に見つかったら、重きは打ち首か遠島かの処分になる。といってもいくら厳しい御法度でも、自分達が作った砂糖である。病人や珍客用に、又は、必要品物交換のため皆隠匿していた。>
 取り締まりが厳重であっても、「病人や珍客用」「必要品交換」のためには、背に腹は代えられない。密かに隠し持っていたという。砂糖を作るのは島民だから、その気になれば隠し持つことは難しくないのだろう。 

 遊女を仲立ちにして物々交換
 隠し持った黒糖は、どのように使われたのか。
 <島の貢糖は大和船によって運ばれた。これに要する船の数も少ないものではない。毎年秋の頃となれば、丸に十の字の帆をはらませて、数多く下ってくる。これら多くの船の船子達は島の砂糖欲しさに、島民の必要品をしのばせて積み込んできたものである。

 船子達は自分の情婦(ズリ)を通して物々交換をなした。裕福な家でも余計糖との交換をこの情婦に頼んだのである。つまりこの時代はなくてはならぬ存在であった。…
 藩庁の余計糖に対する交換品はきわめて高率なので、裕福なる家庭では砂糖を隠匿しておき、船子達の有する品物と交換し、時には次航は何々の品と交換したいという話し合いも行われた。…
 代官所では藩庁に対する密売取締りの手前もあり、役得の抜糖による利益も充分ではなかった。しかし、役職柄この密売糖を取締らなければならなかった。
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 砂糖を運ぶ大和船の船員たちが、遊女(ズリ)を仲立ちとして、島民の隠し持つ砂糖と船員が運んでくる生活上の必要品と交換していたという。
 しかし、代官所はこうした秘密裏による隠し砂糖と品物の交換を見逃すわけにはいかない。摘発のため、目を付けたのが遊女たちだった。
 <効果的な対策はズリを取り締まるにあるとして、ズリたちを屡々(シバシバ)検束し白洲にて、求刑を加えて供述せしめたという。
 或年のズリ達の拷問は厳酷をきわめ、此の度は裸にして打ちすえ、ある丈の事を白状させよとの事であった。ズリ達は裸にされてはと、新しい腰巻を締めて行ったという事である。>

 拷問にかけられた遊女たちは哀れである。しかし、そんな遊女たちの中にも、気丈な女性が現れた。
 <ズリの中の一人が白洲に引立てられ裸にされて打ちすえられる前に、「たとえズリでも女の身として裸にされては恥さらしになります。弱いようで強いのは女。こうなった以上は私の目で見た事はすべて申し上げます」と、暗に代官達の抜糖も申し上げますよと、決意の程を申し立てたのである。
 こう出られては代官達もズリの制裁どころか、自分たちの首にかかわる一大事である。白洲に列した代官達は青くなって、「もうよかで」と言って、下僕に命じて、ズリに着物を投げ与えたと。>
 
 役人たちも「抜き糖」などで私腹を肥やしていることが、遊女の間でも知られていたのだろう。その弱味を使った遊女の反撃は見事である。
 ここには、薩摩による圧制のもとでの庶民の悲哀とともにたくましい抵抗の一面を見ることができる。
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