レキオ島唄アッチャー

移住地の村褒めの歌、「繁昌節」

  「繁昌節」
  石垣島で観光地として有名な川平湾から、さらに西に突き出た半島部に崎枝の地名がある。崎枝といえば、「繁昌節」が有名だ。沖縄本島の民謡にも取り入れられ、よく演奏される。軽快で楽しい曲だ。
  この曲の歌詞は次の通り。
♪だんぢゅとぅゆまりる 崎枝ぬ島や 黄金むるくさでぃ 田ぶく前なし
   イマヤシウヤキハンジョウ マサルハンジョウ カツマタイヤマシ(以下ハヤシ略)
♪作てぃ実らしゃる 稲苅る人や 若者ぬまぎり さらばさらば
♪崎枝女童や 水故いがやゆら 色姿 うちゃてぃ なだる美らさ
             
  歌意は次の通り。
♪よくその名を知られた 崎枝村は 立派な岡を背景に 田んぼを前にしている
♪植え付けて豊かに実らせた 稲を刈り取っているのは 働き盛りの若者たち総勢だ そうだそうだ
♪崎枝村の娘たちは 清い水のお陰なのか 心身ともに均整がとれて 並み揃って 美しいことよ
  崎枝村は、村の後方には立派な岡があり 前方には地味豊かな田んぼが広がっていて、黄金色に実った稲を、村の若者たちが勢揃いして刈り取っている姿が描かれ、村娘たちの美しさまで描かれている。
  「わが村の優れた立地条件から健康的な青年男女の素晴らしさまで、自慢話に徹した典型的な『村誉めの歌』である。この村誉め・島誉めの歌の系列には、ほかに<鶴亀節・小浜節・真栄里節・桃里節>等が連なっている」(當山善堂著『精選八重山古典民謡集』)。
  この曲は「とぅまた節」を続けて演奏する。この曲も、同じ崎枝村を発祥の地としている。村の与人(ユンチュ、村長格)役人が松の木の下を馬に乗ってやって来る。女頭(ブナジィ、女性の下級職)がお供し、賄い女(現地妻)はマナベンマ(名前)がつとめることなどが描かれている。
  
  崎枝村は、旧部落から東崎という海岸地帯へ移転。その後さらに再移転した。川平村役人の管轄下にあった。竹富島が土地面積の割合に人口が1000余りに増え、分村を蔵元政庁に訴え、移住が認可になった。
  1734年74人を石垣島に分村し、屋良部村を建て、崎枝村の管轄下に置いた。崎枝村は380人余りになって独立村となり役人が配置された。明和の大津波のあった1771年頃には729人に激増した。溺死者は5人であったが、マラリアなど悪条件が重なり、人口は減退の一途をたどった。独立村となって178年を経て1914年廃村となった。
  「繁昌節」はいかにも村の繁昌を誇る曲調であり、「とぅまた節」と続けて演奏するととても楽しい。しかし、一時は人口も増加して繁昌したのかもしれないが、廃村にいたった推移に思いを致すと、単純に喜ばしいとだけは思えなくなる。

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