レキオ島唄アッチャー

「『世ば稔れ』考」を読む、その1

波照間永吉氏著「『世ば稔れ』考」を読む

 八重山や宮古の民謡には、とても奇妙な囃子がある。「ユバナウレ」である。それについて、私も素人なりに、用例を調べて「ユバナウレ考」をブログでアップしていた。
 最近になり、沖縄県立芸術大学の波照間永吉教授が雑誌「沖縄文化」114号(2013年9月)、115号(2014年2月)に「『世ば稔れ』考」(上、下)を発表されていることを知った。
 早速、読んでみた。さすがに、研究者らしく考察されているので、とても学ばされた。その中から、さわりを紹介する。

 「ユバ ナウレ」の意味
 まず「ユバ ナウレ」の意味についてである。日本語の「よ」は普通には「世」の字をあてている。
「よ」の語義は、穀物の稔りを意味する「よ」から、穀物の実りのサイクル(時間)を意味するようになり、人生の一代・一期、さらには、時間を生きる人間の集合体としての世(世間・社会)を意味するようになった、とみることができるのではなかろうか。
 「ナウレ」は動詞「ナウルン」(稔る)の命令形である。語義は『石垣方言辞典』には「稔(みの)る」の意で、「穀物だけに用い」る、とある。
 時代を遡って『おもろさうし』をみると、巻20-1350(=巻12-719)に「又 なおり世は さだけて/あまへ世は さだけて」(なおり世は先立てて/歓え世は従えて)とある。
 この「なおりよ」を「好ましい状態の世。平和で豊かな世」とするのが現在のオモロ研究における一般的な解釈である。
(波照間氏は、このオモロ解釈について、「なおる」を「直る」、「なふり」を「直り」と解されているが、「稔り/豊穣」と解せる可能性もあるのではなかろうかという)
                  141.jpg 

                       石垣島風景(文章と関係ない)

 こうみると、巻20-1350の「なおり世」は「稔り世」で、五穀の豊かな稔りに支えられた豊穣の世であり、世の人すべてが笑い楽しむ「甘え世」と一対をなすものであることは十分に考えられる。
 「ナウル」は古琉球の時代から近世・近代を経て現代に至るまで、穀物の「稔る」ことを意味する語として使われてきたらしいのである。
 (「ユバ ナウレ」の「バ」について、文法に疑義があり、「世を稔らせよ」の「ば」(~をば)ではないとし、同義別句の「ユヤ ナウレ」(世は稔れ)が広く流通することによって、「ユバ ナウレ」という異形の句を生んできたのではないか、と予想している)

 私のような素人は、「世」と言えば、「人間社会。世の中」としか思い浮かばなかった。だから、「ユバナウレ」とは「世は直れ=世の中がよくなれ」という意味だと思い込んでいた。
 この論考で、もともと「よ」の語義は、穀物の稔り、実りのサイクルを意味するというのは、目からウロコである。「ナウル」も穀物の「稔る」を意味する語として使われてきたという。そうなれば、「ユ(世)」と「ナウル(稔る)」は深く結びつく。とても納得のいく説明だと思った。
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